神にはできる

神の愛と、その結果として得られる罪の赦し。そして、神から与えられる永遠のいのち。世の中でこれらに勝って価値のあるものなど存在しない。なんてことは、信仰心では分かっちゃいるけど、そんなものでは食べていけるわけでもなし、生活していくのは厳しそうだ。聖書にはイエス・キリストを信じれば、生ける水の川が流れるようになると書いてはあるが、それは肉体的、物理的なものではないだろう。やはりこの世界で生きていくためには、それだけのものが必要なのである。そして、それは多ければ多いほど良いに違いないと、そう考えてしまうのも仕方ない。ということで、この夏は普段なら十枚しか買わない宝くじを二十枚買ってみた。しかも別の売り場でそれぞれ十枚ずつである。単純に考えればこれで当たる確率は二倍になった。もっとも別の見方をすれば、外れた場合の損する額も二倍になっている。まぁ、冷静になって考えてみれば、ただ損しているだけな気もするが、ここは勢いに任せた方が気が楽なのかもしれない。

ところで、正しいものが何か分かっていても、なかなかその通りに従うのは難しいというのは、誰しもが感じていることかもしれない。であるにも関わらず、それでも正しいことを行うには、相当に強い意志の力が必要であろう。それとも、正しいと頭では理解していても、その通りに体が動かないのは、やはり人が生まれながらの罪人だからなのであろうか。楽な道を選びたくなるのも、人間の弱いところなのかもしれない。
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疑わないということ

先日、会社の携帯メール宛に木村拓哉さんという人からメールが届いた。何でも、前の日に彼と私で飲みに行ったらしく、木村さんはそれが楽しかったようで、今度は二宮和也さんという人を誘って飲みに行こうということだった。実際のところ、私は木村さんと飲みに行った覚えがない。そもそも私は、木村さんとも二宮さんとも面識がない。そんな名前の知り合いは身近にはいない。さて、木村さんは私からメールの返事がないことを気にしていたらしく、このアドレスで合ってるのか、心配だから返事が欲しいと何度か言ってきたのだが、どうも木村さんのメールアドレスを見ると、ヘンなのである。一見するとソフトバンクのアドレスのようなのだが、よくよく見ると”softbank”ではなく”sofibaank”なのである。”t”が”i”になっているし、”a”がひとつ多い。どうやら私が思っていた通り、迷惑メールみたいだ。うっかり返事をしようものなら、「木村さん」に個人情報を持っていかれてしまったことだろう。もっとも、職業柄そう簡単には私は騙されないという自信があるが、知らない人であれば引っ掛かってしまうかもしれない。もともと疑い深い私を騙そうとは、百年早いわ。

それにしても、露骨な内容の迷惑メールが多い昨今、日常会話とも言えるような内容で、どこか親しげな様子のメールだったので、これはさすがに憎めないなと思ってしまった。それどころか、もし会社の携帯ではなく個人宛に届いていたら、わざと騙されたふりをしてのせられてみるのも面白いだろうとも考えた。とは言っても、概ね相手はボット(インターネット上の自動化された仕組み)であって血の通った人間でもないから、私の反応に対して喜びもしないし怒りもしないだろうけど……それはそれでさびしいな。
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愛を知らぬ

これは私の個人的な感想でしかないから、もしかしたら間違っているかもしれない。だが、少なくとも私はそのように感じているのだから、結局のところ、私の主観的な考えでしかない。同意を求めようとも思わないし、人を納得させようとも思わない。

さてそれが何であるかというと、賛美には二種類あるのではないかということだ。ひとつは、神が主体となっているものであり、必ずというわけでもないだろうが、どちらかと言えば聖歌とか讃美歌とか、古くから伝わっている賛美に多いのではないかと思う。例えば「驚くばかりの恵みなりき」とか「主われを愛す、主は強ければ」とか「慈しみ深き、友なるイエスは」という賛美に歌われているように、神はどのようなお方であるのか、神は何をなされたのか、などのように神について歌われている賛美である。そしてもうひとつは、人間が主体となっているものである。神を賛美するための歌であるのに人が主体となっているのもどうかと思うが、比較的新しいワーシップソングに多いような印象を受ける。例えば「御名を掲げて、あなたをたたえます」とか「あなたの心もとめて、御前に出る」というように、人が何をするか、どうするか、などのように人間の立場から神に対しての行いや思いを歌っている賛美である。前者を歌うことには抵抗はないのだが、後者を歌うのは時に戸惑うこともある。何にもまして「主よ愛します」というような言葉が含まれている賛美が、私は一番苦手だ。
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失望しない

ここしばらく、口を開けば出てくる言葉は「暑い」ばかりである。心頭を滅却すれば火もまた涼しとは言うけれど、暑いのは暑いのだから仕方がない。これだけ暑いと心を無にするなどできるわけがない。それができるのであれば、最初から暑いなどと文句を言うことなどないだろう。暑さにさらされても無念無想の境地を保つ努力をするくらいなら、さっさと冷房の効いた場所を探して出掛ける方が断然に楽である。それこそ、この時期であればどこか明確な目的地があるわけでもなく、ただ電車に乗っているだけでも涼しくて楽だし、肉体的に負担が少なければ精神的にも楽になるだろう。むしろ冷房の効いた車内の方が無念無想でいられるのではないか。

そういえば、言霊という考え方があるわけだが、だからといって「暑い、暑い」と毎日口に出しているから、暑くなったというわけでもあるまい。実際に暑いから、暑いと言いたくなるだけであって、その逆ではない。もちろん、誰に言われずとも暑いのが分かっているときに、暑いとばかり聞かされてしまうと、それはそれで余計に暑苦しくなってしまうだろう。
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神の国の訪れ

二年ほど前のことだが、私の勤務先のビルの隣で新しいビルの建設が始まった。何ができるのかと思いつつ時折様子を見ていたが、ようやく今年の春先くらいに立派な野村総研のビルが完成した。見たところほとんどのオフィスビルがそうであるように、一階部分は共用スペースとなっており、コンビニなどの店舗が入居できるようになっていた。私の興味の対象は、そのビルの一階部分のテナントに、何のお店が入るのだろうか、ということであった。昼食やおやつに、何をどれくらで食べることができるか……働く私にとっての数少ない楽しみの一つであり、実に大切な問題なのである。そして、テナントに何が入るか分かり始めたのが、つい最近のことだ。

私の期待としては、コンビニ……と言っても何でもよいわけではなく、ファミリマートやローソンの系列ではないものが欲しかった。この二系列のコンビニはすでに近所に複数あるから、どちらかといえば飽和状態である。それ以外では、やはり数百円で食事ができるチェーンの牛丼屋、そば屋、うどん屋、中華屋が欲しかったのである。もっとも半ば観光地となっているみなとみらいでは、そのような庶民的なお店はあまり期待はできないだろうことは覚悟のうえだが。考えてもみれば、横浜のみなとみらいにまでやってきて、お昼にどこでも売っているようなものを食べようとはしないだろう。
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