はじめに
いつか"物書き稼業"に就きたいと願ってはいるものの、ふと周りを見回してみれば、その日その日が流れるようにして過ぎ去っているだけにしか思えない。
ここでは、心に思い浮かぶ様々なことや日々過ごすなかで感じる諸々のことなどを、イエス・キリストを救い主として信じる私自身の視点から、そこはかとなく書き綴っていきたいと思う。すなわち、このサイトが「あるキリスト者のつぶやき…」と名付けられた所以である。
併せて、どのようにして私がキリストを救い主と信じるに至ったかの経緯を残したり、聖書を読んで考えたこと思ったことなどを書いていきたいと思う。
最新のエッセイから
憎まれっ子世にはばかる、とはよく言うものだ。もちろん人から憎まれようと、どう思われようと気にせずに幅を利かせたいのであれば、勝手気ままに過ごせばいいだけなのかもしれないが、幸か不幸か残念ながら、そうするだけの気概も度胸も私は持ち合わせていない。だからといって人から恨まれることのない善人として日々過ごしているかと言えば、そうでもない。私は悪人でもなければ、善人でもない。一口で言うと、中途半端な人間ということになるのかもしれない。
さて天の御国に入りたければ、すなわち天国に入ろうと願うのであれば、律法学者にもまさる義を行わなければならないというイエスのことばを前回見たが、その意味はまだ考えていなかった。しかし私のちっぽけな頭で考えても、残念ながら答えを見出せるわけがない。ここは素直にイエスが何と教えているかを見ていくのが、最も理にかなっていることだろう。
最新の日記から
焼 (Fri, 03 Sep 2010 22:24:19 +0900)
本日の我が家の夕食は「ポークステーキ」でござった。ステーキと言うと、ビーフステーキを思い浮かべてしまうのであるが、我が家はステーキにして食うことができるような牛肉を買えるほど裕福ではない。というわけで、牛より安い豚なのである。とは言っても、私は牛肉よりも豚肉の方が好きだからいいんだけどね。牛肉は塊で食べるよりも、カレーとか牛丼とかになっている方が、どちらかと言えば好みである。一方豚は角煮とかで塊で食べるとおいしい。
で、ふと思ったんだけれども、焼豚、焼鳥、焼魚……とあるんだけれども、焼牛って聞いたことがない。なんでだろう。豚を焼いたら「焼豚」、もっとも焼豚(チャーシュー)は単純に焼いただけではないけれども、まぁ、基本的に火を通しているし、煮たりゆでたりしたわけじゃないから、焼豚でもいいか。焼鳥、これなんかそのものだ。軽く味付けして焼くだけ。好みでタレをつけてもよし。私は塩のが好きだけどね。焼魚、これなんかもそのものだ。魚を焼くだけ。秋になったら、秋刀魚のおいしい季節である。七輪で焼く秋刀魚は最高!もっとも我が家はマンションなんで七輪で秋刀魚を焼くわけにはいかないが、実家では食うことができる。また親父に焼いてもらおうか。とはいえ、今年は秋刀魚が高いとか何とか。
しかし、牛肉を焼いても焼牛とは言わない。これ如何に?
いやいや、その理由は分からないですね。世の中の不思議のひとつです。牛を焼くという習慣が日本には昔なかったからでしょうかね。では、豚を焼く習慣が日本にあったかというと、古来日本人は四足のものを食す習慣はなかったと思うので、焼豚っていうのも日本のものではないかもしれないですね。でも焼豚=チャーシューと考えてみると、中華料理になりますね。ということは、チャーシューは焼豚として日本になじんだけれども、焼いた牛肉(roast beef,beef steak,berbequed beef)というのはそのまま焼牛という字にならなかったということかな。
まぁ、どうでもいいけど、肉はおいしいね。おいしい焼鳥と秋刀魚を食べたくなってきてしまいましたよ。暦の上ではすでに秋なんだけれども、まだまだ暑くてそんな気はしませんね。でも食欲は季節に関係ありませんよ。
![]() |
|---|
