変わったことは何か?
私は悩んでいた。クリスチャンになろうか、すなわちイエス・キリストを救い主として信じることで自分の罪が赦されて天国に行くことを保証されるか、それとも今のまま中途半端な立場でいようか、と決めかねていたのである。しかし、教会でしばらく前に聞いた話がもし本当であるのならば、このまま自分の罪は赦されないだろうと信じて生きていくことは、ただでさえ罪深い自分自身をさらに「不信仰」という罪で上塗りしてしまうようで、それもあまり気分のよいものではなかった。
さて、そのようなことを考えていると、神学校に通っているという髪を伸ばしたあの日本人が以前に言った言葉が思い出された。彼とはキャンプが終わった後も何かの機会で一緒になったことがあるので、おそらくその時に聞いたことかもしれない。きっと、私は彼にクリスチャンになろうかなるまいか考えているところだ、と言ったことがあったのかもしれないが、今となってはよく覚えていない。
「考え方によっては賭けみたいなもんですよ。クリスチャンになったところで、仮に神様がいなかったとしても、何も損することはないでしょう。でも、本当に神様がおられるのならば、クリスチャンになれば天国にいくことが約束されているのです。クリスチャンになっても得はするけれども、損はしないんです。」
彼が今は牧師になっていることを考えると、なんとも大胆な発言に聞こえないこともない。果たして彼が覚えているかどうかは分からないが。しかし、彼の言ったことは当たっているだろう。クリスチャンになったところで、何も失うものはないのだ。
さんざん悩んだ挙句、私は覚悟を決めることにした。
大学のカフェテリアでメラニーさんと昼食を取っているときのことであった。当時、貧乏留学生だった私は、いつものようにメニューの中でも一番安いコーンブレッドを食べていた。これがとても香ばしくておいしかったので、一時期コーンブレッドにはまって自分でも焼いて食べていたこともある。が、それは今は関係ないのでよいだろう。そのコーンブレッドを半分食べた頃であろうか、私はメラニーさんに言った。
「ねぇ、メラニー。実は・・・クリスチャンになろうと思うんだけど・・・。」恥ずかしさもあって、おそらく頼りない宣言に聞こえたかもしれない。
「それは、素晴らしいわ!私が祈る?それとも、かつ、自分で祈ってみる?」
今まで教会やらで何度か話を聞いてはいたが、クリスチャンになるためには人に祈ってもらうか、もしくは自分で祈らなければいけないのである。クリスチャンになるための申込書というのもなければ、テストもない。もちろん入会金や会費というものもない。クリスチャンになるためにはまず教会に行かなければならないということもない。クリスチャンになるためには洗礼を受けなければいけないと考える人たちもいるかもしれないが、洗礼は信じた人たちが受けるものであるから、その前に人はクリスチャンにならないといけない。そう考えると、人がクリスチャンになるためにしなければいけない最初の行いというのは、やはり祈るということなのだろう。もし祈り方を知らなければ人に祈ってもらってもいいだろうし、人と一緒に祈ってもいいだろう。しかし、祈りを抜きにしてはクリスチャンになれないのである。なぜなら、祈ることによってまず誰よりも神様その人に、「私はあなたを信じます」と伝えなければならないからだ。そして私は自分で祈ることにした。私にとってクリスチャンとしての最初の祈りであった。
「神様、私の罪を赦してくださったこと感謝します・・・キリストが十字架で私の罪のために罰せられたことを信じます・・・これからはクリスチャンとしてあなたを信じて従っていきたいと思います・・・アーメン。」あまりよく覚えてないが、照れ臭さもあってそのような短く簡単な祈りであったろう。
「おめでとう、かつ!今ごろ天国で天使たちが喜んで、歌って踊って大騒ぎになってるわよ。」メラニーさんが嬉しそうに言った。
変わったことは何か?それは、神様が私にとって恐れるべき存在ではなく、頼るべき存在になったことだ。これからすべてが始まったような気がする。
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