アドニヤの執着
遠い昔、アドニヤと言う男がいた。彼はダビデの息子の一人であったわけだが……考えてもみると、ダビデの息子たちには野心家が多いような気がする……と言っても、目立ってしまうだけで、多いというほどでもないのかもしれない。父であり王であるダビデに対して謀反を起こした息子もいたかと思えば、このアドニヤも似たようなことしている。もっともアドニヤはあからさまに父であり王であるダビデに敵対したわけではなかった。彼は年老いて弱ってきたダビデの様子を見て、ダビデ亡き後に王の座に座ろうと考えており、その準備を進めていたようだ。
そしてまだ王が存命のうちに、彼は「私が王になろう」(Ⅰ列王記1章5節)と宣言し、「戦車、騎兵、それに、自分の前を走る者五十人を手に入れ」(同)たのだ。もっとも彼の上には兄が二人いたが、二人ともすでに死んでいたので、順番から言うと彼が王位を継ぐはずであった。そう考えると、もしかしたら彼はそんなに必死にならずとも、野心を燃やさずとも、神のことばを守りながら、じっと待っていれば王になれたかもしれない。しかし理由はよく分からないが、彼は時期が来るのを待たずに、自ら王になると心を決めてしまったのだ。
そして彼は「エン・ロゲルの近くにあるゾヘレテの石のそばで、羊、牛、肥えた家畜をいけにえとしてささげ」(同9節)るために、兄弟たちや王に仕える人々を招いたという。しかしながら、招かれなかった人たちもいたということは、おそらく彼が王になることに納得のいかない人たちがいたことの現われであろうし、彼にとっても苦手とする人たちがいたのかもしれない。そして自らの立場を守るためにも、彼はできる限りそのような人々を避け、自分に対して忠実でいてくれる者たちで身辺を固めようとしたのだろう。
しかしそうすることで彼は自分の立場を、また彼自身を守ることができたのであろうか。そもそも彼は自分で王になると宣言したかもしれないが、果たしてそれで本当に王になることはできたのだろうか。以前に幾度か見たことがあるが、油を注がれた者が王となるのだ。果たしてアドニヤが油を注がれたかというと、そうではなかった。油を注がれたのは、彼の弟であり、彼がいけにえを捧げたときに招かれることのなかったソロモンであった。こうなると誰が王になるのか明白になってくるであろう。
やがてダビデが没した後、ソロモンは父の後を継いで正式に王とされた。一方、アドニヤはどうしただろうか。弟に対して敵意を燃やし、彼の権威に対して反抗したであろうか。いや、そうではなかった。それでは、新たに王として立てられた弟の前に膝を屈したかというと、そうでもない。
彼はどうしたかというと、ソロモンの母を通じて、ひとつの願いを出したのだった。「どうかソロモン王に頼んでください。あなたからなら断わらないでしょうから。シュネム人の女アビシャグを私に与えて私の妻にしてください。」(同2章17節)
何とも妙な願いである。このシュネム人の女アビシャグとは、ダビデの家来たちが年老いた彼を世話し、慰めるために連れてきた女性である。言うなれば、ダビデの側室のような存在である。一体全体アドニヤは何を考えていたのだろうか。ところで彼はひとこと前置きをしていた。「ご存じのように、王位は私のものであるはずですし、すべてのイスラエルは私が王となるのを期待していました。」(同15節)もちろんこれは彼の思い込みでしかなかった。王位は油注がれた者が受けるはずで、実際そうなったわけであり、彼が王になるのを望んだのは彼のとりまきだけであり、都の群衆はソロモン王を褒め称えていたではないか。アドニヤは王位の代わりに父の忘れ形見として父の側室を求めてきたのだ。そうすることで、ソロモンより優位に立とうしたのだろうか、理由は定かではないが、王になることを諦め切れていない様子が伺える。しかし結局のところ、彼は王位を得ることもなければ、アビシャグも得られなかった。それどころか、彼自身の命を失うことになってしまったのだ。
何らかの明確な目的を持つことは良いことであろう。しかしあまりにも目的を達成することばかりに執着してしまい、それが神のみこころにかなうことでないと知っても、それを追い求め続けると、結局は何も得られず、何も残らない最後になるのではないだろうか。






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