真理とは

自由になりたい、そう思う人たちは世の中に大勢いるだろうと思う。とは言え、そう願う人たちにとっての自由とはいったい何であろうか。心配や不安から解放されることが自由なのであろうか。社会的な責任や公的な義務から解放されることが自由なのであろうか。それとも、もっと単純に好きな時に好きなだけ眠り、食べたいものを食べたい時に存分に食すことが自由なのだろうか。金銭的な制限がなくなり、欲しいものをすべて手に入れることが自由であろうか。自由という言葉をひとつとっても、その言葉の持つ意味というのはそれを聞いた人によって様々であろう。

ところで、聖書にはこのように書かれている箇所がある。「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネの福音書8章32節)さて、それでは真理とはなんであろうか。真実、まことのこと。正しいこと、本当のこと。そう言うと、何やら確かなもののように思われるが、案外そうでもないのかもしれない。本来であれば、真実とは普遍的なものであるべきであろう。だが実際は、人にとっての真実というものは、その人が真実だと認めているものが、その人にとっての真実でしかないのではないか。たとえば、人の起源について考えてみよう。ある人は、神が世界の始まりに人間を創造されたと考えるだろう。またある人は、人は原始の海で発生した細胞が長い年月を経て人に進化を遂げたと考えるだろう。他にも、宇宙人が遺伝子操作で造ったとか、そもそも人間というのは現実には存在せずコンピュータのシミュレーションの中で存在しているに過ぎないとか、もはや私の想像を超えた考えまである。そして、大半は自らの考えが真実であると言って譲らないだろう。もちろん真実が普遍的なものであることに間違いはない。ただ、その普遍的なものが何であるか、どう頑張っても全員が合意に至ることはとても難しい、いや不可能なのではないかと思う。

同じように、イエス・キリストと彼を敵視していた指導者たちの間にも、真実がなんであるかということに、越えるに越えられぬ隔たりがあった。そして当然ながらどちらも妥協することはなかった。

イエスが捕らえられた翌朝のことである。祭司長や律法学者たち、それに民衆の指導者たちは彼を議会に引き出して、尋問をはじめた。「あなたがキリストなら、そうだと言いなさい。」(ルカの福音書22章67節)

イエスは彼らに答えて言った。「わたしが言っても、あなたがたは決して信じないでしょうし、わたしが尋ねても、あなたがたは決して答えないでしょう。しかし今から後、人の子は、神の大能の右の座に着きます。」(同67〜69節)

イエスを問い詰めている者たちにとっての真実とはこうであろう、イエスは神の子を自称し、イスラエルの民を惑わすやっかいな存在である。そのような彼らの考えをイエスはすでに気付いていたに違いない。イエスがなんと言おうとも彼らは決して信じないと、面と向かって言っているのだから。彼らにとって真実は何であるかということは、もはやどうでもよかったのだろう。彼らは自分たちが正しいと思い込んでいたのだから、そのような者たちに何と言い聞かせても、そもそも彼らは聞く耳は持っていなかった。イエスのことばを彼らが信じなくとも、真実はことばではなく、結果がやがて示すことになるという。すなわち、イエスは神の右の座に着くことになると。もっとも彼らがそれに気付いたかどうか、怪しいものである。

さてイエスのことばに対して、彼らはさらにこう言っている。「ではあなたは神の子ですか。」(同70節)くどい連中である。彼らにとってはどうでもよいこと、そもそも信じてもいなければ、信じたくもないことをなぜ聞いているのか。

「イエスは彼らに『あなたがたの言うとおり、わたしはそれです。』と言われた。」(同70節)イエスは、イエスにとっての真実をそのままに答えた。もとより神の子であるイエスに嘘をつく必要はなかったであろう。いや、嘘をつくことなどできなかったに違いない。

イエスの答えを聞いた人々はこう言った。「これでもまだ証人が必要でしょうか。私たち自身が彼の口から直接それを聞いたのだから。」(同71節)これが彼らの目的であった。イエスを訴えるだけの証拠が欲しかっただけなのである。

彼らの目的は彼らの持論である「イエスは神の子を自称する者」を議会で証明したかっただけなのであるから、イエスの発言した内容の真偽はどうでもよかったのである。イエスの口から「わたしは神の子である」ということばさえ出れば、それだけでよかったのだ。彼らは彼らの目的を達成したのである。

異なる考えを「真理」として持つ人々の間には、残念ながら越えることのできない壁があるのだ。ところが真理はひとつしかないというのが現実なのである。真理が何であるかに気付けるかどうか、また気付いたとしてそれを受け入れることができるかどうかは、真理のことばを聞く人次第である。

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