たぶん、幸せ、かも

神がなさった良いこと。今ひとつは、自分が幸せかもしれない、と感じられること。

果たして自分は幸せなのだろうかと、そのように考えてしまうことがしばしばある。そう考えるときに、いつも悩んでしまうことがある。「そもそも幸せって何なんだ?」幸せの定義というべきか、私にはこれがよく分からない。今まで何度も考えてみたけど、未だに答えを出せないでいる。きっとこの先何年掛かっても、その答えは見出せないだろうと、もはや諦め掛けているのも事実である。だから私は自分が幸せなのかどうかと、考えるたびに、少なくとも不幸せだとも感じないから、たぶん幸せなのかもしれない、とそう思うのだ。なんとも大ざっぱと言えば、その通りなのだが。もっともその考え方をするのであれば、幸せが何かもよく分からず、幸せと感じていないのであれば、もしかしたら不幸なのかもしれない、とそう考えてしまうこともできなくはないだろう。

さてグラスに水が半分入っている様子を見て、「半分も入っている」と思える人はポジティブな思考の持ち主で、反対に「半分しか入っていない」と思う人はネガティブな思考の持ち主である、というのはよく聞く話である。先の例もあるように、おそらく私の場合は前者であろう。ポジティブというと聞こえは良いが、私の場合は、ただ能天気でオメデタイだけなのかもしれない。それとも、不都合なことには気が付かないふりをしたいだけなのだろうか。

客観的に事実だけを見ると、グラスの中の50%は水で、残りの50%は空気であるということに変わりがない。外に目を向ければ、晴れの日もあれば、雨の日もある。暗い夜はやがて明けて、朝になると太陽が世を照らす。「禍福は糾える縄の如し」と昔の人は言ったが、まさしくその通りである。世の中良いことばかりではないし、だからと言って悪いことばかりでもない。どっちもあるということだし、生きている限りは避けられないことである。結局のところ、自らの境遇をどう見るか、ということなのだろう。

それにしても、改めて自分自身を振り返ってみると、心配事やら悩み事、不平やら不満、どちらかといえばネガティブに考えたくなってしまうことに目を向けてしまいがちな気がする。常に何らかのストレスやプレッシャーに晒されているというのが現実である。もしかしたら、世の中の大半の人は多かれ少なかれ、私と同じように感じているのだろうが。まさしくグラスの中の水に例えるのならば、半分どころか三割、良くても四割ぐらいしか水が入っていないのではないかと思える。まぁ、でもそれでも空っぽなわけではないし、多少なりとも水が入っているだけでもマシかと考えることができるだけでも、私はまだ幸せなのかもしれない。ただの気休めにしかならないが、自分には無いものに目を向けて悩むだけ、時間の無駄っていうもんだと割り切ってしまうに限る。

しかしながら物は考えようである。グラスの水が少ないからと、嘆く必要はない。なぜなら見方を変えれば、グラスに水が少ししか入っていないということは、まだまだ水が入る余裕があるということになるからだ。自分という器がまだ三割しか満たされていないのであれば、まだ七割も満たされるだけの余地があるということではないか。今後のことを期待することができるというものだ。むしろ何ら不足はないと満足し切っている人の方が、それ以上何も得られるものがないということで、見ようによっては「損をしている」ということにもなるだろう。

ところで聖書にはイエス・キリストのこのような言葉が記されている。「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。……天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。」(マタイの福音書7章7〜8、11節)「あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。」(同6章8節)

自分には何かが不足していると感じているのであれば、それを手に入れることができないと諦めることはない。また、どうやって手に入れるかと思い悩む必要もなければ、あれやこれやと策を巡らしたり必死の努力を不要である。ただ、神に求め、神が与えてくださると信じ、待つだけでよいのだ。満たされていなければいないほど、さらに神に多く求めることができるのだと考えれば、物事の見方も変わってくるだろう。

自分が幸せだと言い切ることができずに、たぶん幸せかもしれないと思っている間は、それだけ幸せとは何かを神に問い続けることができるだろう。思えば、神に求め続けることができるのは、それはそれで何よりも恵まれていることなのかもしれない。

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