カテゴリー : ヨナ書

枯れ木とニネベの町

ヨナは神に対してあれこれ文句を言った後、結局そのままふて腐れてしまい、ニネベの町に戻らずに町を出たところの、さらに東のはずれへ身を移してしまった。彼はそこに掘っ立て小屋を作り、町の様子を伺っていたという。彼にはどうにも諦めの悪いところがあったようだ。遅かれ早かれまだ彼の目の黒いうちに、ニネベは神に滅ぼされしまうに違いないと妙な期待をしていたのかもしれない。そのようなヨナの気持ちも分からないでもない。彼はニネベの人々と彼らのやっていること、すなわち罪の悔い改めを信用していなかったのかもしれない。しばらく待つうちに、ぼろが出てしまうかもしれないと考えていたとしても不思議ではあるまい。もしかしたら、ヨナは自分自身のことをここで少し省みたかもしれない。とは言っても、自らのことを反省するではなく、自分自身と彼らを比較して、こう思ったかもしれない。神の下僕である自分でさえも神に背を向け、神から逃れようとしたことがあるのだから、ましてや俄かに神に立ち返ったニネベの人々のことだから、さほど日を置かずに以前のような罪に満ちた生活に戻ってしまうのではないか、と。人間不信というか、人の信仰を疑い易いのかもしれない。それに自らの信仰を基準に、他の人を量ってしまうところがあったのかもしれない。

しかしこれはヨナに限ったことではないだろう。私自身もそうであるし、さすがに他の人に聞いたことはないから正確なところは分からないから断言することはできないが、信仰者といえども、神に忠実に歩もうと努めていようとも、人というのは自分の物差しで他人を量ってしまいがちなものではないだろうか。それまで神を知らなかった者が、神を知ることになったら、それは本来喜ぶべきことであるのだが、ヨナのようにどこかそれを素直に受け入れることができないこともあるのだ。まさか、あのような人が…と考えてしまうと、どうせ続かないさ…と思ってしまうのだ。人というのは、たとえ信仰があっても、いや、むしろ信仰があるからこそ余計に、人を量ってしまいやすいのである。
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素直になれないもの

ヨナが神のことばを伝えたことで、ニネベの人々は老若男女貴賎を問わず各々の罪を悔い改め神に立ち返ったのだった。神はそのような人々の様子をご覧になると、一度はニネベを町ごと滅ぼそうと考えていたのだが、思いを改めて彼らを救われたのだった。

さて、神の預言者であるヨナからすれば、それは喜ぶに値することだったろう。なんと言っても、今まで神に目を向けることのなかった人々が、神に立ち返り、また神がそのような人々を受け入れるのであれば、これを喜ばなければ、果たして何を喜べというのだろうか。ところがヨナは相変わらずのひねくれ者だったようだ。彼は目の前で起こっていることを感謝し、喜び、神に栄光を帰するどころか、むしろそのことを不満に思ったのだ。いや、それだけならまだしも、ニネベの人々が救われているのを見るくらいだったら、まだ死んだ方が良かったと腹を立てたのだった。
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灰の中に座った王

大荒れの海で溺れ死ぬことからも免れ、魚の胃袋の中で最終的に消化される前に吐き出されたヨナは、三日振りに外の新鮮な空気を吸いながら、それまでの行いにも関わらず命を助けられたことを神に感謝していたことだろう。そして、今度ばかりはさすがに神に逆らおうなどとは思わなかったに違いない。神がニネベの町に行き、神のことばを伝えるようにと命じると、彼は腰を上げて、何らためらうことなくニネベに向かった。

ニネベに着くと、彼はさっそく神のことばを人々に伝え始めた。彼の伝えた神のことばとは、実に簡潔だった。
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魚の腹の中は

海に放り出されたヨナは、その後どうなっただろうか。溺れ死んでしまったのか…まさかそんなわけはないだろう。だとしたら、聖書に名前を留めることもなかっただろう。聖書をちゃんと読んだことがあるか、教会にしばらく通ったことがあるのなら、一度くらいは聞いたことがあるかもしれないが、ヨナはでっかい魚に飲み込まれしまったのだ。果たしてこのでっかい魚が何であるかは分からない。人を飲み込むことができるような大きな魚など聞いたことがない。もしや鯨だったのだろうか。でも鯨は哺乳類であって魚ではない、などと考えていたこともあるのだが、昔の人にとっては鯨も海に住んでいたので、魚の仲間と思われていてもおかしくはないだろうが、それでも人間を丸呑みにすることのできるものなのだろうか。何かで読んだ記憶があるが、鯨の喉は案外小さいもので人間、しかも大人が通過することはまず不可能であるらしい。

するとヨナが魚に飲まれたというのは、本当にあったことではなく、何かの譬えなのだろうか。しかし、それも無理があろう。なんと言っても、ここにはヨナがどうしたかということが書かれているわけで、譬えを用いて説明するようなことでもない。ヨナは海に放り出された後、魚に飲み込まれしまったということだ。それ以上でも、それ以下でもない。
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嵐に巻き込まれて

それでは続けてノア…ではなくて、ヨナの話をしてみよう。ノア、ヨナ…どちらも二文字だし、声に出しても似たような雰囲気である。そういえば、この二人、どちらも船にまつわる話が付きまとっている。ノアは神のことばに従って、人々に嘲られながらも箱舟を造り、家族揃って命を救われた話であったが、ヨナは神のことばに逆らって、一緒にいた関係のない人々をも嵐に巻き込んでしまった。強いて呼ぶなら、前者は救いの船、後者は背きの船とでも言うべきか。前者は船に乗ることで命を救われたが、後者は命を危険にさらすこととなった、ちょっと考えてみると、神に従うことは周囲の人々にも祝福を与えることになるが、その反対に神に背くことは周りにも災いをもたらすことになるのではないかと思えしまう。となると、神のことばに背くことは、愚かしいばかりか、恐ろしくすら思えてしまう。もちろん神は、いわゆる天罰を与えることのない神であるが、それでも人の道を正すのであれば、手段を選ばないであろう。それが神を知らない人々に災いと受け取られてしまってもやむを得ないだろう。

まさしく今回のヨナがその通りになってしまった。神の言いつけに納得できなかった彼は、便船に乗って神から逃れようとして、嵐に遭って進むに進めなくなったのは前回も見た通りだが、もちろんその船にはヨナだけでなく、船長やら水夫やら他のお客やらも乗っていたわけだ。当然ながらそれらの人々も嵐に巻き込まれてしまった。彼らはすっかり怯えてしまい、各々が信じるところの神々に祈ったり、船を少しでも軽くしようと荷物を海に捨てたりと右往左往していた。さて、肝心のヨナはどうしたかというと、神に祈るでもなく、人々の手伝いをするでもなく、船室に入ってぐっすりと眠っていたのだ。そこまでふて腐れなくてもよいではないかと思うのだが、彼は頑固な性格だったのだろうか、非協力的であった。とは言っても、あまり彼のことを悪く言うのも気が引けてしまう。彼の気持ちが分からないでもない。私も何か気に入らないことがあると、どちらかというと身を引いてしまうことがあるから。
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