カテゴリー : 2009年の作品

あっと言う間に

今年も残すところあと僅かである。ついこの前に年が明けたばかりと思ったら、もう年の瀬である。年々時間が経つのが早くなっているような気がする。一日は同じ24時間しかないのに不思議なものだが、一年また一年と徐々に短くなっているような気がする。いつまでも若いと思っていても、何かで自分の年齢を書かなければいけなくなったときに、ふと自分の年齢に37という数字を書いていることに気付いて、思っているほどに若くないことを認めざるを得ない。気持ちの上では、今でも二十歳そこそこな気がしなくもないが、まだまだ人として未熟だということなのだろう。無駄に歳を重ねているだけのような気がしなくもない。

それにしても、この一年もあと数日で終わりだ。一年を振り返ってみて、果たして何か成し遂げたであろうかと考えると、残念ながら何も思い浮かばない。一日一日を過ごしているうちに、あっと言う間に一年が過ぎ去ってしまったようだ。
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イエスを迎える心

十二月も後半。気付いてみれば、クリスマスはもうすぐである。とは言うものの、どうもクリスマスが近づいているという気がしない。たしかに我が家もクリスマスツリーを飾っているし、長女の幼稚園では降誕劇をやったし、街の中もイルミネーションが灯されていたり、きらびやかなデコレーションが施されていたり、私の通う教会ではないが、クリスマス礼拝のお知らせをしているところもあれば、また別の教会が聖歌隊のコンサートをするとの張り紙を目にすることもある。右を見ても左を見ても疑いなくクリスマスなのであるが、どうにも私の中でそれを自覚するところが少ないのだ。

十二月はクリスマスの季節でもあるが、古くから師走と呼ばれているように、何かと慌しい季節でもある。あれよあれよと言う間に、一日一日がせわしく過ぎ去ってしまうので、如何に目で見ようとも、耳で聞こうとも、クリスマスの雰囲気を感じるゆとりがない。
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クリスマスのはるか前から

早いもので十二月も半ばである。気づいてみれば、クリスマスまであと僅かだ。クリスマスというのは、イエス・キリストの誕生を祝うことであるのは言うまでもないだろう。長女の通う幼稚園でも聖劇(ところで、カトリックかプロテスタントかで聖劇とか降誕劇とか、呼び名が違うこともあるようだが中身は一緒だろうと思う、個人的には降誕劇のがしっくりくるのだが…)を年長のクラスが発表していた。キリストの誕生と言われて、ぱっと頭に浮かぶのは、馬小屋でヨセフとマリヤの間に赤ん坊がいて、羊飼いたちや三人の博士たちが見守っているという情景だろう。私自身も、まずそれを思い浮かべてしまう。

たしかに聖書を読むと、たとえばマタイの福音やルカの福音を読んだりすると、キリスト誕生の様子が物語っぽく書かれているので、誰しもがそのような場面を思い浮かべてしまうのもなんとなく分かる気がする。
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マスクをしてみると

先週末のこと、どうも喉の調子が芳しくないと思っていたのだが、とうとう休み明けの月曜の朝目覚めてみたら、喉が痛くなってしまった。熱があるわけではないので、巷で話題のインフルエンザではないらしく、それは良かったのだが、それでも喉が痛いのは辛い。というわけで、朝から医者に行って見てもうことにした。熱もないし、喉もそんなに赤くなっているわけではないので、抗生剤と咳止めを処方してもらって一件落着。そのまま仕事に行っても平気なくらいの体力はあったが、喉がひりひり痛むのに、無理をして行かなければいけないほど大事な用事もなかったので、結局家に引き返して一日おとなしくしていることにした。

翌朝、幸いなことに喉の痛みは退いたたものの、咳はまだ収まらずにいたので、仕事に行くのにマスクをして出掛けた。すでに風邪をひいてしまっているわけで、何も外で病気をもらってくるのを防ごうなどと思ったわけではない。もちろんインフルエンザが流行っているのは承知だが、どんなに気を付けていたとしても、結局掛かってしまうときには掛かってしまうものであろう。手洗いうがいで防げるなら、それに越したことはないが、わざわざマスクをしてまで防ごうとは思わない。
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受けるにふさわしいもの

隣の芝は青く見えるとは、うまいことを言ったものだ。確かに人の物がよく見えてしまうものである。ところでちょっと見方を変えてみると、自分が羨んでいるその人からしてみたら、こちらが隣になるわけで、そう考えるとこちらの芝の方がよく見えてしまう…なんていうこともなきにしもあらずではないだろうか。悲しいかな、それが人というものなのだろう。人というのは、他人に自分にないものを見出して、羨んでしまうものなのかもしれない。そう考えてみると、我と人と比べてしまうのは、あまり賢いことではない。比べたところで、得られるのは相手に対する羨望くらいである。

と言うところで、我が家の芝を客観視したところで、その有様に納得できるかと言えば、残念ながらそうでもない。ちょっとばかり侘しく見えてしまう芝なのである。どうにも今の自分に物足りなさを感じてしまうのである。ところで私は幸せであると前回に書いたが、幸せだと言いながらも自分の置かれた状況を疑問に思うことは、どこか矛盾しているような気がしなくもない。でも実際そうなのだから、あながち矛盾するとも限らないだろう。言うなれば、前者は心で感じるものであり、後者は頭で考えるものかもしれない。
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