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エルサレムのために泣く

人々に歓迎されながら、イエス・キリストはエルサレムにやってきた。人々が喜びに満たされて大声で神を賛美しながら彼を迎える中、彼は何を思っていただろうか。彼の心はどのように感じていたのだろうか。人々に歓迎されることに喜びを感じていただろうか。ようやくエルサレムにたどり着いたという感慨にふけっていただろうか。彼の顔に浮かんでいたのは笑みだったろうか。彼の口から出たのは、安堵の溜息だったろうか。その時のイエスの様子が、聖書にはこのように書かれている。「エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて」(ルカの福音書19章41節)

エルサレムの都より少し高いところにあるオリーブ山から、繁栄を誇り、多くの人々が暮らしている都を眼下に見て、イエス・キリストはその都のために泣いたのだ。イエスのそのような様子を見た人々は、もしかしたら彼が感動して涙を流しているのか、そう思ったかもしれない。しかし今までのことを振り返ると、はたして彼が感動して涙を見せたことがあっただろうか。イエスが前に涙を見せたのは、ラザロが死んだときのことだった。その時の涙は、霊の憤りを覚え、心の動揺を感じたからではなかったか。(ヨハネの福音書11章33、35節)彼の心を動かすものは喜びなどではなく、むしろ悩みや苦しみや心配と言った、おおよそ好ましくない感情によることの方の方が多いのではないだろうか。
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愛を知らぬ

これは私の個人的な感想でしかないから、もしかしたら間違っているかもしれない。だが、少なくとも私はそのように感じているのだから、結局のところ、私の主観的な考えでしかない。同意を求めようとも思わないし、人を納得させようとも思わない。

さてそれが何であるかというと、賛美には二種類あるのではないかということだ。ひとつは、神が主体となっているものであり、必ずというわけでもないだろうが、どちらかと言えば聖歌とか讃美歌とか、古くから伝わっている賛美に多いのではないかと思う。例えば「驚くばかりの恵みなりき」とか「主われを愛す、主は強ければ」とか「慈しみ深き、友なるイエスは」という賛美に歌われているように、神はどのようなお方であるのか、神は何をなされたのか、などのように神について歌われている賛美である。そしてもうひとつは、人間が主体となっているものである。神を賛美するための歌であるのに人が主体となっているのもどうかと思うが、比較的新しいワーシップソングに多いような印象を受ける。例えば「御名を掲げて、あなたをたたえます」とか「あなたの心もとめて、御前に出る」というように、人が何をするか、どうするか、などのように人間の立場から神に対しての行いや思いを歌っている賛美である。前者を歌うことには抵抗はないのだが、後者を歌うのは時に戸惑うこともある。何にもまして「主よ愛します」というような言葉が含まれている賛美が、私は一番苦手だ。
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わたしは、よみがえりです

今さら言うようなことでもないかもしれないし、もしかしたら前にも言ったことがあるかもしれない。でも、この時期になるといつも思うことがある。私はクリスマスよりもイースターの方が好きだ。ついでに言うと、イースターと書くと、どうも言葉の持つ重みというか、本来の意味が薄れてしまうようで、これもまたあまり好きになれない。というよりも、もしかしたら日本の場合に限定されることかもしれないが、イースターの意味も分からずに、ただ形骸化しただけの玉子やうさぎに象徴されるイベントのみを世の中が受け入れているように思えて、どうも気に入らない。だから私にしてみれば、復活祭と呼ぶ方がまだ好ましく思えるのである。もっとも、それではあまりに意味が直接的な気もするし、やはり世の中としては受け入れがたいのかもしれないが。

ともあれ、なぜ私はクリスマスよりも復活祭の方が好きなのか。それは、クリスマスに特有のどこか浮ついたかのような、にぎやかさというか騒がしさがないからだ。クリスマスプレゼント、クリスマスツリー、クリスマスパーティー等々クリスマスという言葉を頭にした言葉や、クリスマスを理由にした物事は数多くあるが、復活祭、もしくはイースターという言葉を頭にしたものは少ないし、それに関わる物も少ない方だろう。考えてもみれば、イエス・キリストがこの世に生まれた日も、多くの人々にとっては他の日と同じ、つまりいつもと変わらぬ日常だったに違いない。同じように、彼が墓場からよみがえられた日も、安息日ではあったが、やはり多くの人々にとっては他の安息日と何にも変わらぬ日であったろう。それを思うと、祭りの熱に浮かされたような空気の感じられないなかで過ごせる復活祭は、どこか私を安心させるのである。
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赦されない罪

しばらく前のことだが、職場でこんなことがあった。ちょうど昼食時のことである。いつもだいたい決まったメンバーで食事をするのだが、たまたまその日の席順は、入社18年目でいわゆる管理職相当の私がいて、隣には私の現場に異動になったばかりの、入社2年目の若者であった。私のメニューは、家から持ってきたおにぎりとコンビニで買ったサラダ、そして隣の彼のメニューは同じくコンビニで買ったロースカツ弁当……そうだろ、私よりも頭ひとつ分も背が高いのだから、それくらい食べないともたないだろう、と考えていたら、何か冷たいものが降ってきた。空調の配管でも壊れたのかと天井を見上げたが、何も問題はなさそうである。そのままサラダでも食べようかと思ったら、シャツや腕も何やら冷たい。そして、ソースの匂いがする。そう、なぜか顔や腕やシャツにソースが付いているのだ。いや、サラダにソースはないよな、と不思議に思って隣に目をやると、手に開封に失敗したソースのパッケージを持った2年目の彼が固まっていた。きっと漫画が現実になったかのような一場面だったに違いない。

誰しもが一度くらいはやったことあるだろう。醤油だったり、ドレッシングだったり、ソースだったり、ケチャップだったり、はたまたラーメンのスープの素だったりと、色々な意味でぶちまけたくないものに限って開けるのに失敗するのはなぜだろうか。さて、ロースカツ弁当の彼はどうなったか。仕事で失敗したなら、事件事故報告書でも書いてもらうところだが、ソースの開封に失敗したなら、もはや笑ってやり過ごすしかないだろう。あとは、ロースカツ弁当禁止令くらいである。まぁ、どちらかと言えば寛大な措置であろうか。
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よみがえられたから

ちょっと立ち寄ったコンビニでイースターフェアなるものをやっていた。気付いてみれば、もうイースターなのである。どうもクリスマスと違って、イースターはその年によって日付が違うから、覚えにくい。去年は4月の最初の日曜日だったかと思えば、今年は3月の最後の日曜日だったりするのだ。では来年はどうかといえば、私が勘違いしていなければ、4月の第三日曜なのである。これでは覚えようがないというものだ。

さて、イースターと聞いたときに、世間の人たちが思い浮かべるのは、やはりイースターエッグなのかもしれない。それが理由なのだろうか、コンビニではたまごにちなんだ製品が目立つように売られている。たまごの形を模したパン、なるほど。カスタードクリームが入っているらしく、おいしそうだ。でも、カロリーも高そうだ。半熟たまごのチキンライスのおにぎり、まぁ、たまごに違いはない。オムライス、いや、もうイースターはあまり関係ないだろう。挙げ句の果てに、ゆで卵のスライスが載ったサラダに「ハッピーイースター」とシールが貼られていた。これなんてイースターじゃなくても普通に売ってるだろう。春野菜とあるから、季節的には今だけなのかもしれないが。
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