テオピロへ 21
ところでユダヤ人たちは、なるべく他国人に福音を伝えないように気をつけていたらしい。しかし彼らがどんなに注意深くしていたも、やはり彼らの話を耳に挟んだ人々もいたようだ。キプロスやクレネの人々や、アンテオケのギリシヤ人たちは、ユダヤ人たちの話を聞いてどうしたか。なんと彼らが信仰を持つようになったのだ。もっとも彼らがユダヤ人の話していることを理解できたかというと、それは分からない。しかし神の御手が彼らと共にあったと書かれているから、神ご自身が何らかの方法で彼らを導いたのかもしれない。考えてみれば、ユダヤ人たちが彼らに直接キリストの話を語って聞かせたのでなければ、彼らが詳しくキリストのなされたことについて知るすべはなかったであろう。となると、やはり神ご自身が何らかの方法で彼らに、キリストがどのような方であり、何をなさったのかということを人々に示されたのだろう。それがどのような方法であったのかは、残念ながらルカは何も書いていない。正直、そこのところをもっと知りたくてしようがないテオピロであったが、ここは諦めるしかなかっただろう。もっとも、どのようにして神が彼らを導かれたのかということよりも、ここで大切なことは神が異邦人をも導かれたという事実であろうと、テオピロは考えていた。
すなわちユダヤ人自身は異邦人を部外者のように扱ってきたが、神は彼らのことをご自身の民と同じように扱われたということである。それを考えると、まさしくペテロが言ったように、神は分け隔てをなさらないお方であるということが、テオピロにもよく分かった。異邦人のうちわずかな者がなったということではなく、大勢の人々が神を信じるようになったというからには、神のなさることは半端ではない。
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