カテゴリー : マタイの福音

幸いです、柔和な人

ようやく三度目にして、少々ポジティブなことばが出てきたようである。

幸いな人とは、何者か。マタイの福音5章5節にはこう書いてある。「柔和な者は幸いです。」なるほど、心の貧しい者だの、悲しむ者だのと聞いてしまうと、何やら打ちのめされているようで、とてもじゃないけど普通に考えたら幸いとはほど遠いような人を主体に書かれていたが、柔和な者というと、性格温厚にして物あたりのやわらかで、怒るのに遅く忍耐力のある、いわゆる「良い人」を連想させる。そのような人は確かに得することが多いのではないかという印象を受ける。そう考えると、柔和な人が幸せであるというのは、納得できる。
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幸いです、悲しむ者

なんだか長くなってしまいそうな予感がするのだが、前回の続きを見ていきたいと思う。

山上の垂訓の出だし部分では「幸いです」と繰り返し言われているのだが、そう何度も言われてしまうと、そもそも「幸い」とは何ぞや、などとと思ってしまうのだ。もちろん、その答えは同じ箇所に書かれているから、ちゃんと読めばさほど難しことではない。しかし、普通の感覚で言うところの、幸いとはちょっと違うようにも思える。深く考えずに「幸い」と聞いてしまうと、何やら「幸せ」とか「幸福」とかを連想してしまい、何やら嬉しくなるような、心の内側からほっとするような何かを得られるかのように考えてしまいがちである。確かにそのような感情も「幸い」であることに違いはないのであろうが、どうもキリストが弟子に向かって教えている内容では、ちょっと「幸い」の意味合いが違うようだ。
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幸いです

前回、山上の垂訓から少しばかり書いてみたわけだが、これもちょうどよい機会だと思うので、せっかくだからもう少し詳しく見ていくのも良いだろうと考えてみた。ということで、山上の垂訓を最初から読んでみようかと思う。

キリストが山の上で人々に伝えたことばは、マタイの福音五章三節から記されている。最初のことばはこうだ。「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」
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