カテゴリー : 2010年の作品

神と出会う確かな道

私がこれを書き始めてから12年くらい経つ。忙しくて書けなかった(書かなかった?)時期もあったし、どうにも何を書いてよいのか思い浮かばないために、ひとまず英語のデボーションを訳してしのいでいたこともあった。そのようなものを除いて、果たしてどれくらい書いてきたのかをざっと数えてみると、正確な数字は分からないが、だいたい420編くらいである。我ながら、よくぞここまで続けてきたと思う。これからも書き続けていくであろうことを考えると、この数は増える一方である。

さてこれだけ書いているとふと心を過ぎるのだが、もしもこれに金額をつけるとしたらと、取らぬ狸の皮算用とばかりに考えてしまうことがある。仮にひとつ千円で売れたとしたら、42万円ということになる。しかし私の時給(仕事が終わった後の夜中に書いているんだから、深夜手当ても付けて…)と書くのに要する時間(平均3時間くらいかな…)を考えると、いくらなんでもそれは安すぎる。というわけで五千円に値上げしてみたら、なんと210万円にもなる。エッセイ420編がクルマ一台に化けるという具合か。もっとも現実には、お金を払ってまで読みたくなるようなものでもないし、こちらとしては、読んで下さる人たちにアタマを下げたいくらいの気持ちだ。しかし大前提として、私はこれを自己満足とか、利益をあげようかとか、そんな気持ちで書いているわけではない。これを最初に書くようになったそもそもの理由は、何か奉仕をしたいという願いからである。人当たりも悪いし、音楽の才能もないし、話すのも苦手ときたら、文字を書くくらいしかできないだろう。だから、結局これに金額を付けることはできないのだ。
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ちょっと暖か

先日は暦の上では大寒であった。というわけで一年のうちで寒さがもっとも厳しいのが理想なのであろうが、意外や意外、季節外れの暖かさだった。ところによっては梅が咲きほころんだところもあったという。そのまた翌日も暖かな日だった。もっともそれ以降は再び冬に逆戻りのようである。しかし寒い日々が続くなかで、ちょっとだけでも暖かな日があると、季節感がないとは思いつつも、やはり嬉しいものである。

冬になると寒い毎日が一体いつまで続くのやらと考えてしまうのだが、たまに暖かな日があると、何時までも寒い日が続くわけでもないことを思い出させてくれる。そしてまた、さほど遠くない未来に春がやってくることを暗示するかのようでもある。寒い日々の中で、暖かな希望を与えてくれるではないか。
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支払い

先日、キャンペーン期間中ということもあって、とうとう話題の(というにはちょっと旬を過ぎてしまったような気もするが…)iPhoneを買ってしまった。これで私が契約している携帯通信事業者が三つに増えてしまった。ちょっと多過ぎる気もするが、そこはこんな私でもエンジニアの端くれである、話題の製品やサービスを試したくなるのだ。結果として損することもあるのだが、それでも一度も使わずにモヤモヤしたままでいるよりは、試したけどやっぱり使えなかったと納得する方がまだましだろう。

使い始めて十日ちょっと経ったが、これが思っていたよりも使えてなかなか便利なのである。何より感謝なことは、重たくて普段は持ち歩くことのできなかった聖書を、手軽にどこへでも持っていけるようになったことだ。これで通勤電車の中だろうがどこだろうが、いつでもその気にさえなれば聖書を読むことができるのだ。もちろん「その気」になればであるが、残念ながらまだ数えるほどしか「その気」になったことがない。これは実に勿体ない。それ以外にも色々と使えるのだ。家のアドレス宛に届くメールをどこでも読むことができるし、場所や時間に束縛されずにブログの更新もできる。これの下書きだってできるのだから、ちょいと空いた時間を有効に使うことができて助かっている。買ったことを後悔するかどうかと思ったのだが、すでに手放すことができなくなってしまったほどである。人から聞かれたら熱く語ってしまいそうだ。まったくこれほどの熱心さで福音を語ることができれば、さぞかし大胆な伝道者になるであろう。
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ひとりでいるのは

私はひとりでいるのが好きである。昔からそうであったが、今もそうである。ひとりのいいところは、自由気ままに他人のことであれこれと煩わないことだ。ところが聖書には、人がひとりでいるのは良くないと書いてある。聖書に書いてあるということは、つまり神がそう仰っていることと同じである。つまり人がひとりでいるということは、神の望まれていることではない。神は天地創造のおいて最初に人をこの世界に置かれたときにそう仰って、動物だのを地に置いたのであるが、それでも不十分と見て、もうひとりの人をこの世に置かれたのだ。人は人と一緒にいるのが神の御心に適ったことなのだろう。

しかし、なぜ神は人がひとりでいるのを良くないと言ったのだろうか。孤独で寂しくなるからだろうか。でも、孤独イコール寂しいというわけでもないだろう。私みたいな人間にしてみれば孤独イコール自由となってしまい、それを寂しいとか考えることはない。いや、たまにそう思うかもしれないが、悲しみで打ちひしがれてしまうほどでもない。そう考えると、神の考えは別のところにあるのだろうか。
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神が求めるもの

新しい一年が始まった。だいたい新しい年が明けると、さまざまなことに関して、今年一年の予想というのが出てくる。これが科学者や経済学者による、研究や調査に基づく予測や見込であれば特に不思議に思うこともないのであるが、なぜか毎年のように今年一年の予言とか占いなるものが出てくるのである。未来を知りたいというのは人の当然の思いだから仕方ないのだろうけど、でたらめなものに振り回されるのも時間が勿体無い。

つい最近もマヤ文明の暦がちょうど西暦に直すと2012年に終わることから、2012年に世界が滅ぶと勘違いされてしまい、さらにそれを映画にしてしまったものだから、新たな人類滅亡説が世間に広まっている。思えば1999年にも世界が滅びるとかで、世間ではひとしきり盛り上がっていたが、結局何も起きなかったばかりか、そのまま10年経ってしまった。いわゆる人類終末論と言うものをひとつひとつ挙げていったら、人類は一体何回滅びなければいけないのか、見当のつけようもない。
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