カテゴリー : エッセイ

通訳は不得手

先週はふとしたきっかけから礼拝にて通訳を受け持つことになってしまった。聞き苦しかったかもしれない。申し訳ない。

今だから告白するが、私は通訳が大の苦手である。英語が話せれば通訳くらいできるだろうと周囲は思っているようだが、私に言わせれば英語が出来ることと通訳が出来ることはまるで別である。まず私は英語をそれほど話さない。話せないわけではないし、必要であれば話すことはできると思う。とは言うものの、六年前の新婚旅行を最後に海外に行ったことは一度もないし、自分の身近に外国の方がいるわけでもないし、今の給料で海外旅行なんて夢のまた夢の話なので、話せなくとも何の苦労もないのである。それに数年間も放置してすっかり錆び付いてしまったであろう英語用の舌で、普通にしゃべることができるのかどうかさえ怪しいが、夢の中ではたまにしゃべっていることもあるのでたぶん問題はないだろう。要するに私は無口で口下手なだけなのである。日本語ですらまともに話さない私に通訳が得意であろうわけがない。
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時代と共に

いつまでも若いと自分では思っていても、世間一般の目から見れば、もはや中年と呼ばれてもおかしくない年齢になったのかもしれない。とうとう平成生まれの新成人が誕生した様子を見ると、なんとなくそんなことを考えてしまったのだ。

ところで我が家の子供たちは、カメラで写真を撮ったらすぐに見ることができるものだと信じて疑わない。さも当然のように、写真を撮ると「見せて」と言ってくることがある。銀塩カメラを知らない娘たちにとっては、撮ったらすぐに見られるというのは普通のことなのだろう。
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体が覚えてること

長い正月休みが明けて、新しい一週間が始まった。と思ったら、また三連休に入ってしまった。長い休みの後は仕事に行くのが億劫だと、若い頃はそう思っていたが、どうしたことか、最近は休みの明けるのが待ち遠しく感じてしまうのである。

いやいや、仕事が好きということでもなければ、仕事に情熱を感じているわけでもない。自分の職務に崇高な目的とか意義を見出してるかと言えば、それはまずない。私にとって仕事とは、生活の糧を稼ぐというのが主たる目的なのである。何もそのような仕事を楽しみにしているわけではない。
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喜怒哀楽

あれよあれよという間に年が明けて、2009年という新しい年が始まってしまった。諸事に追われて慌ただしく時間が過ぎてしまったがために、年が暮れて、年が明けるということを実感する余裕すらなかったので、まさしく「始まってしまった」という気分である。もっとも年が明けたと実感するとかしないとか言っても、現実的に考えてしまうと、日が沈んで夜が来て、やがて日が昇って朝を迎えるというだけのことでしかないのだが。しかし、それではいくらなんでも当たり前過ぎて「あけましておめでとうございます」という意味がなくなってしまう。

何はともあれ、こうして新しい年の始まりを迎えることができることを感謝である。
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マッシュポテト

さてクリスマスがなんとか無事に終わった。無事に終わったと言うのも、妙な言い方かもしれないが、終わって一安心するというのも本音である。

いや、何もクリスマスを負担に感じているわけではない、クリスマスにやらなければならないことが多くて疲れを感じてしまうのである。いや、それともクリスマスに思いっきり気持ちが盛り上がったと思ったら、日常に引き戻されてしまうことに虚脱感を覚えてしまうのだろうか。冷静に考えてみると、どちらも本当のことであろう。しかしキリストをこの世界に遣わして下さったことを神に感謝する気持ちに変わりはない。もっとも無事にこの時期を乗り切れたことも併せて感謝したいと思う。
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