カテゴリー : 信仰談話

四つの法則

「四つの法」というものをご存じであろうか?
おそらく私のように若い頃、とくに学生の頃にクリスチャンになった人たちは知っているだろう。「四つの法則」というのは、キリスト教の伝道でよく使われる小冊子の名称である。何が書かれているかというと、概要を簡単に説明すると、キリスト教信仰とは何か、救いとは何かということが四つのポイントで書かれているものである。1965年にCampus Crusade for Christという米国の宣教団体が発行したのが始まりである。
かく言う私も米国留学中に英語版、日本語版の「四つの法則」を読んだことがあるし、中国語やら韓国語やらその他様々な国々の言語で発行されていたのを見たことがある。知る人ぞ知る、有名なものである。もしかしたら私の持ち物をひっくり返せば、いくつか出てくるかもしれない。
さて四つのポイント、すなわち四つの法則とは何であろうか。Campus Crusade for Christのサイト http://www.japanccc.org/ に記載されているものを一部抜粋させていただく。

  1. 神は私たちを愛しておられ、個人的に神を知ることができるように、私たちを造ってくださいました。
  2. 人には罪があり、神との間に深い断絶があります。そのため、神を知ることも、神の愛を体験することもできなくなっているのです。
  3. 人の「罪」のために、神が用意してくださった唯一の解決が、イエス・キリストです。私たちは、イエスを通して、神を知り、神の愛を体験することができるようになります。
  4. 私たちは、それぞれ個人的に、イエス・キリストを、罪からの救い主、人生の導き手として迎え入れる必要があります。そうすることで、私たちは個人的に神を知り、神の愛を体験するようになります。

さて、なんで私がいきなり「四つの法則」を思い出したのかというと、今日横浜駅を歩いていたら、「四つの法則」を使って伝道している人たちを見たからだ。ちょうど今時の女子大生っぽい子が二人、女子高生と何やら話しているところを見掛けたので、新手のキャッチセールスか何かかな?と思って近くを通ったときにちらっと見たら、ちょうどこの「四つの法則」が見えたのだ。まだ「四つの法則」が現役で使われていたとは!すっかりその存在を忘れていただけに、ちょっと驚きでもあった。私が学生だった頃も今も、変わらないものは変わらないものである。良いものは、いつの時代でも通用するということなのかもしれない。

Share on Facebook

ノアの箱船

ノアの箱船の話はクリスチャンでなくとも、何となく聞いたことがあるだろうし、その内容についても何となく知っているだろう。洪水伝説というのは、世界各地でも様々な形で存在しているので、おそらく大規模な洪水があったというのは事実である可能性が高い。それを起こしたのが「神」であるのか、超自然的な何かなのか、それとも地質学的気象学的な一大イベントなのか、どのように解釈するかは人それぞれであろう。なお一人のキリスト者として、私はノアの箱船の話を信じている。すなわち地上に蔓延する悪意に満ち、悪を行う人々を見ているうちに、神は人類を大雨によって滅ぼしてしまおうと考えたのだが、ノアに命じて、当時としては大型の船(但し、動力などは備えておらず、要するに水に浮かぶだけのもので、映画「2012」に出てくるようなものではない……)を建造させ、ノアとその一族、および各種の動物のいのちを救出させたというものである。
さて、何でノアとその一族は救われたのであろうか。
先日、新聞の社説欄で茨木のり子という詩人の「水の星」という詩が一部引用されていた。ちなみに茨木のり子が誰だか知らない。社説で初めて聞いた名前である。そもそも詩には興味がないもので。
引用されていた一節はこうである。
「すさまじい洪水の記憶がのこり/ノアの箱舟の伝説が生まれたのだろうけれど/善良な者たちだけが選ばれて積まれた船に/子子孫のていらくを見れば この言い伝えもいたって怪しい」
「子子孫のていらく」まぁ、それは納得できる。確かに、神は地上を洗濯しようと大洪水を起こされのだあるが、右を見ても、左を見ても、上を見ても、下を見ても、前を見ても、後ろを見ても、悪意や悪業は世に満ちている。どうやら洗濯しても垢は落ちなかったようだ。ノアの時代の悪がどれほどだったのかは分からないが、今の時代も洗濯された方がよいのではないかと思えるくらいだ。
ところで聖書的な観点から見たら、「善良な者たちだけが選ばれて」というのは、間違っているだろう。確かに、聖書には「ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。」(旧約聖書・創世記6章)と書いてある。重要なのはノアが正しい人かどうかということよりも、どうしてノアが正しい人であったかということである。それは「ノアは神とともに歩んだ」(同)からである。ついでに言うと、「正しい人」と言われたのはノアであって、彼の家族ではなかった。また「きよくない動物」も救助の対象となっている。すなわちノアたちは善良だから助かったわけではない。神の哀れみによって、ノアと家族、動物たちが救われたに過ぎないのだ。ノアが善人であったからというのが理由ではないだろう。
ちなみにノアであるが、洪水の後の世界で、あるとき泥酔して素っ裸で眠ってしまい、息子たちに醜態をさらしてしまったことがある。いかに善人と言われた人でも、誰でも汚点のひとつやふたつあるものである。なおさら、善人だからという理由で救われるという考えは成立しないであろう。

Share on Facebook

聖書の話題

ついこの前の日曜日のことだが、毎朝のように新聞を読んでいたら、日経BP社(名は体を現わすということで、日経新聞社の子会社なんですね)の「日経おとなのOFF」という雑誌の宣伝が第1面に載っていた。普段なら流して見るところなのであるが、今回ばかりは私の目をひいてしまった。なんせ特集記事が「聖書入門」なんだもん。どんなことが書いてあるのかちょっと気になるじゃないですか。不真面目かもしれないけど、こんな私だって世間から見たら「クリスチャン」のハシクレなんだから。

あるキリスト者のつぶやき…-日経おとなのOFF
というわけで、さっそくその日のうちに買ってみた。幸い、ちょうどクルマの6ヶ月点検とリコール対応の日でもあったので、クルマをディーラーに預けて、ちょっと本屋まで出掛ける余裕もあった。なんせ、点検とリコール対応で2時間半くらい掛かるというのが、ディーラーの説明だったわけだ。おかげで本屋に行っても、まだまだ時間があったので、さっそく本屋の近所のスターバックスへ。これで雑誌の記事も読めるし、時間もつぶせるから一挙両得。

何でだろうね、最近一般のメディアで聖書が取り上げられる機会が多いように思えるのだが……私の気のせいだろうか。昨年は、「PEN」という雑誌で特集が組んであったし、今回は日経BP社の雑誌である。当然、うさんくさい雑誌ではなく、ちゃんとしたところから出版されているのだから不思議なもんだ。「PEN」でも「おとなのOFF」でも、どちらを読んでも共通しているところは「西洋文化を理解するには聖書(キリスト教)を知ってべき」という観点から書かれているということである。きっかけは何であれ、聖書やキリスト教が一般に知られるというのは、歓迎する。

読んで意外と思うのは、キリスト教についての解説が結構正確であるということだ。否定するでもなく、肯定するでもなく、中立した立場から淡々と解説されている。やはり一流のメディアだからなせるわざなのだろうか。

もっとも、キリスト者としての立場から見れば「これは違うだろう」と思える箇所もあるにはある。が、信仰書ではないから、それくらいも構わないだろう。むしろ、そのような考えは雑誌そのもののスタンスではなく、編集者が意見を求めた、もしくは取材した、いわゆる学者、研究者、専門家の意見に見られることが多い。おそらく信仰を持った人に聞けば、別の意見も聞かれるだろうに、と思うのであるが、やはり中立した立場を維持するのであれば、信仰者に質問するのは、どちらか一方の肩を持つことになるので雑誌としても避けたいのかもしれない。

何はともあれ、一般の人には未知なる部分が多い、聖書、キリスト教が人々の知るところになるのは良いことだろう。私のブログを読むよりは有益だと思うよ。

Share on Facebook