ドアをノックする音が聞こえた

他人とはいえ、つい先ほどまでいた場所でもあるし、地理的に考えても近い場所なので、その時の私にとっては一番頼りになる存在に思えた。ひとまず私は警察が到着するのを待つことにした。

待つことしばらく、やっと警察が到着した。待たされたのだから、サイレンをけたたましく鳴らし、赤青の回転灯を光らせながら、映画のシーンのように派手に登場してくれるのだろうと期待していたのだが、実際には静かな登場であった。現れた警官はたった一人。やったことと言えば、一通りアパートの中と周囲を見た―調べるというよりは本当に形ばかりにぐるりと見回した―くらいであった。後は何が盗まれたかの報告書らしきものを書き込んだ後、自分の名刺をおいて、何かあったら連絡をするようにと言い残して立ち去ってしまったのである。何かあったら連絡をするようにと言われても、盗みが行われた後では意味がないようにも思える。もっとも、警察にもう一度連絡しないといけないような事態になっても困るのであるが。
続きを読む

いつもある場所に、ない

教会に入り、人で賑わうホールのような場所を抜け、勢いに流されるまま礼拝堂と思われる広い場所にたどり着いた。そこには木製のベンチにクッションがついたような長椅子があり、私たちはそのひとつに着席させられた。薄暗く厳かな礼拝堂を見回すと、どこを見ても人ばかりである。日本にいる頃は教会というものの存在があまり目に付かなかったせいか、真面目に教会に行く人というのを見たことも聞いたこともなかった。正直なところ、もし教会に通う人というのがいるならば、おそらく隠れ切支丹のような目立たぬひっそりとした存在だろうと思っていた程度である。ところが、私が連れられてやってきた教会は、クリスマスだからというのもあるのだろうけれど、人で溢れんばかりである。国柄の違いか、それとも文化の違いか、とにかく不思議な光景であった。

さて、クリスマスコンサート、その後のマッスルマン家でのパーティーも楽しく愉快なものであった。あまりに楽しみすぎたせいか、今となっては何がどう楽しかったのかを思い出すことが実に難しい。プレゼント交換で一体全体私が何を当てたのかさえ思い出すことができない。もっとも細かいことをごちゃごちゃ述べようとして、あれをしたこれをしただのといちいち思い出そうと努力してしまうと、せっかくの楽しかったという感動が褪せてしまいそうなので、何も言わないでおこう。その夕べはすべてが流れるようで、テンポのよい映画を見ている時と似たような心地の良さであった。こんな良い気分になったのはいったいどれくらいぶりであろうかと思えるくらいであった。
続きを読む

クリスマスコンサート

そのように私と聖書との取っ組み合いが始まったのが十二月になってすぐのことである。十二月と言えばクリスマス。気付いた頃にはすでにクリスマスは目の前であった。英会話レッスンに聖書の学びと、週に二度はマッスルマンさんの家に通うようになった私であった。出不精であった私がこのようにして出掛けるようになるとは、やはり私を惹きつける何かがあったのだろう。一人暮らしの私にはたとえ人の家であっても、親しい人々が集まる場所というのが恋しかったのであろうか。それとも、単純にネイティブの生活に憧れていたのだろうか。もしかしたら、その両方かもしれない。

さて、英会話レッスンの時であったか聖書の学びの時であったか思い出せないが、マッスルマンさん一家の通う教会で、クリスマスコンサートがあるので行きたい人は申し込んでくださいとのお知らせがあった。「おぉ、クリスマスに教会でコンサートか!」と、やはり私はアメリカ人のような生活に憧れていただけであったに違いない、どうしようかなどと悩んだり躊躇することもなく、「これは行ってみるしかない!」と思い、その場ですぐに申し込んでしまったのである。
続きを読む

ひとつは天国が存在すること

その夜アパートに帰ってから、初めて手にした聖書を読み始めた。まずは手始めにその日に聖書の学びで読んだヨハネの福音書を読んでみることにした。さて、読み始めてはみたものの、英語であるせいか、書いてある内容がまったく新しいことであったからか、何を書いてあるのかさっぱり分からなかった。次回の聖書の学びの時までに、ヨハネの福音書を読破しようと思い、その夜から一生懸命に聖書を読むことにした。いや、一生懸命と言うよりは、勢いに乗ったと言った方がいいのかもしれない。もしかしたら、クリスチャンになってから十年近くなるという今よりも夢中に読んでいたかもしれない。

とはいっても、そこに書かれていることを理解できたかどうかというと、案外そうでもない。むしろ、私に理解することができたことはほんのわずかであった。ひとつは天国が存在すること。もうひとつは、神が人の罪を赦すことができるということ。そして、罪を赦されたものは天国にいくことができるということ。この三つだけであった。
続きを読む

マイ バイブル

一通り歌を歌うのが終わったら、いよいよこの集まりの(おそらく私以外の人々にとっては)一番の目的である聖書の学びである。食事で言うのならば、歌を歌うのが前菜なら、聖書の学びはさながらメインディッシュとでも言えるところだろう。とはいっても聖書を読むのはこれが初めて、当然ながらそれを「学ぶ」ということも私にとってはまるで初めてのことである。何をどうするのかさっぱり分かるわけがない。

思えばこれが私が生きてきた中で経験した最初の宗教に関係のするイベントであったといえるだろう。その時までに何度も初詣などで神社やお寺にお参りに行ったことはあるが、それらは宗教とか信仰とかとはまったく関係なく、私にとってはむしろ生活を営む中における習慣の一部というものでしかなかった。そう、前にも書いたが、私と信心深さなどというのは無縁のものであった。そんな私が理由は人とは異なっていたが、聖書の学びという、信仰心のあるクリスチャンやクリスチャンではなくても聖書に対して興味がある人たちの中に我が身を置くとは、なんとも面白いことのようにも思える。
続きを読む