愛を知らぬ

これは私の個人的な感想でしかないから、もしかしたら間違っているかもしれない。だが、少なくとも私はそのように感じているのだから、結局のところ、私の主観的な考えでしかない。同意を求めようとも思わないし、人を納得させようとも思わない。

さてそれが何であるかというと、賛美には二種類あるのではないかということだ。ひとつは、神が主体となっているものであり、必ずというわけでもないだろうが、どちらかと言えば聖歌とか讃美歌とか、古くから伝わっている賛美に多いのではないかと思う。例えば「驚くばかりの恵みなりき」とか「主われを愛す、主は強ければ」とか「慈しみ深き、友なるイエスは」という賛美に歌われているように、神はどのようなお方であるのか、神は何をなされたのか、などのように神について歌われている賛美である。そしてもうひとつは、人間が主体となっているものである。神を賛美するための歌であるのに人が主体となっているのもどうかと思うが、比較的新しいワーシップソングに多いような印象を受ける。例えば「御名を掲げて、あなたをたたえます」とか「あなたの心もとめて、御前に出る」というように、人が何をするか、どうするか、などのように人間の立場から神に対しての行いや思いを歌っている賛美である。前者を歌うことには抵抗はないのだが、後者を歌うのは時に戸惑うこともある。何にもまして「主よ愛します」というような言葉が含まれている賛美が、私は一番苦手だ。
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失望しない

ここしばらく、口を開けば出てくる言葉は「暑い」ばかりである。心頭を滅却すれば火もまた涼しとは言うけれど、暑いのは暑いのだから仕方がない。これだけ暑いと心を無にするなどできるわけがない。それができるのであれば、最初から暑いなどと文句を言うことなどないだろう。暑さにさらされても無念無想の境地を保つ努力をするくらいなら、さっさと冷房の効いた場所を探して出掛ける方が断然に楽である。それこそ、この時期であればどこか明確な目的地があるわけでもなく、ただ電車に乗っているだけでも涼しくて楽だし、肉体的に負担が少なければ精神的にも楽になるだろう。むしろ冷房の効いた車内の方が無念無想でいられるのではないか。

そういえば、言霊という考え方があるわけだが、だからといって「暑い、暑い」と毎日口に出しているから、暑くなったというわけでもあるまい。実際に暑いから、暑いと言いたくなるだけであって、その逆ではない。もちろん、誰に言われずとも暑いのが分かっているときに、暑いとばかり聞かされてしまうと、それはそれで余計に暑苦しくなってしまうだろう。
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神の国の訪れ

二年ほど前のことだが、私の勤務先のビルの隣で新しいビルの建設が始まった。何ができるのかと思いつつ時折様子を見ていたが、ようやく今年の春先くらいに立派な野村総研のビルが完成した。見たところほとんどのオフィスビルがそうであるように、一階部分は共用スペースとなっており、コンビニなどの店舗が入居できるようになっていた。私の興味の対象は、そのビルの一階部分のテナントに、何のお店が入るのだろうか、ということであった。昼食やおやつに、何をどれくらで食べることができるか……働く私にとっての数少ない楽しみの一つであり、実に大切な問題なのである。そして、テナントに何が入るか分かり始めたのが、つい最近のことだ。

私の期待としては、コンビニ……と言っても何でもよいわけではなく、ファミリマートやローソンの系列ではないものが欲しかった。この二系列のコンビニはすでに近所に複数あるから、どちらかといえば飽和状態である。それ以外では、やはり数百円で食事ができるチェーンの牛丼屋、そば屋、うどん屋、中華屋が欲しかったのである。もっとも半ば観光地となっているみなとみらいでは、そのような庶民的なお店はあまり期待はできないだろうことは覚悟のうえだが。考えてもみれば、横浜のみなとみらいにまでやってきて、お昼にどこでも売っているようなものを食べようとはしないだろう。
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十人のうち一人

駅から自宅に向かう階段を上りきったあたりの、ちょうど階段の手すりの向こう側の斜面のところに、なぜかスポンジが落ちている。スポンジと言うからには、本当にどこにでもある一般家庭の台所で使うような、誰もがまっさきに思い浮かべるであろう、あの四角いスポンジなのである。何も特別なものでもない。洗車するのに使う大き目のものが屋外に落ちているのであれば、誰かが落としたのが風で飛んできたのかもしれないと、その来歴もなんとなく想像することもできるが、食器を洗うためのスポンジが落ちているのである。一体誰が何のために、階段脇の斜面に置いたのだろうか。それとも、近所の家の台所の窓から落ちたのが、転がってきたのだろうか。だが、その近辺にそれっぽい家もないし、その説も考えにくいから、もしや、どこかの台所での使役に耐え兼ね、夜中に逃げ出したものの途中で力尽きてしまったのか……謎は深まるばかりだ。

いやいや、たかが落ちているスポンジごときにそんな大げさな物語を考えてもしようがない。誰かがごみに出そうとしたのを落としたとか、きっとつまらない理由だろう。それにしても、最初にそこにスポンジが落ちているのを見つけたのは、半年くらい前のことだろうか。それが今でもそこにあるのだから、それはそれで大したものである。誰かが拾って捨てるわけでもない。そんな小さなスポンジの存在を誰も気にしていないのか。はたまた気付いたとしても、わざわざ処分しようなどと考えないのだろうか。まぁ、気付いて何をするわけでもなく、ただ成り行きを見ていた私も同じように無責任かもしれないが。とはいえ驚くに値するのは、この半年の間どれほどの強風にも飛ばされずに、また大雨が降っても流されずに、同じ場所からわずかにも動いていないということだ。根を下ろすというが、まさしくスポンジに根っこが生えてしまったかのようである。
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信仰を増やす

この年齢になってからはあまり重要なことではないだろうけど、身長が増えるのはどちらかと言えば嬉しいことだろう。もっとも、身長よりも収入が増えることの方が正直ありがたい。他には知恵や知識が増えるのも、これも喜ばしいことだ。ゼロは何倍してもゼロなように、そもそもないものは増えないだろうけど、名声も増えたら、幸せになれるかもしれない。とは言っても、名声って何だろう。やっぱり持ってないものなので、よく分からんな。しかし何でもかんでも増えればよいってもんでもない。この世には減った方が望ましいものだってある。まずは体重。これは、はっきり言って減ってもらいたいものである。だけどあれやこれやとどう頑張ってみてもあるところから先は、なかなかに減らないものである。それに支出。日を追うごとに増えて欲しい収入は一向に増えないのに、減って欲しい支出はなぜか増え続けるという不思議。

目で見ることのできるもの、もしくは目で直接見ることができなくとも間接的に計量することができるもの、そういったものは増えても減っても気付くことができる。それゆえに増やしたいと願うこともできるだろうし、反対に減らしたいと思うこともあるだろう。それを達成するためにはどうしたらよいかと考えることもできるだろうし、方法が明確になれば努力することもできるだろう。例えば、体重を減らすとか、貯金を増やすとかは比較的わかりやすい部類かもしれない。もちろん、それを実現させることができるかどうかは、これまた別の問題になってしまうが。
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