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善悪の知識の木Ⅱ

エデンの園の住人は、神の戒めを忠実に守って「善悪の知識の木」の実を食べなかったというと、そんなことはなかった。もし、彼らが神の言うことを守ったのであれば、今私がこれを書くこともなかっただろう。

ところで、園の住人は、男がひとり、女がひとりであった。もしかしたら、二人の子供がいたかもしれないし、いなかったかもしれない。さすがにそこまでは聖書に書かれていないからなんとも言えないが、書かれていないと言うことは、真剣に悩むほど重要なことではないということだろう。また園には、数多くの動物が住んでいたという。その中には蛇もいたが、この蛇がくせ者であったらしい。蛇について、聖書にはこう書かれている。「蛇が一番狡猾であった」(創世記3章1節)ある日のこと、この蛇が女に聞いた。
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善悪の知識の木Ⅰ

神が天地を創造されたとき、御自身の姿に似せて人を造った。そして神は、エデンと呼ばれている地に園を設け、人をそこに住まわせることにした。神は人の必要を満たすために、食べることの出来る実を実らせる木を園に生えさせ、土地を潤すために川が流れるようにされた。また、人が孤独を感じることがないように、様々な動物や鳥を住まわせたという。さらにもう一人の人を園に住まわせることにした。

これが、クリスチャンでなくとも一度はどこかで名前だけでも耳にしたことがある「エデンの園」である。
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創世記Ⅱ

さて、まじめというか保守的というか、聖書に忠実なクリスチャンに、神が世界を造るのに何日掛かったかを聞けば、おそらく七日という答えが一番多く聞かれるだろう。もちろん、まじめではないかもしれないが、私も聖書に忠実であろうと努めているクリスチャンの一人なので、七日と答えるに違いない。なにしろ創世記にそう書かれているのだから。

「そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。…第六日。それで神は、第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。…第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。」(1章31節、2章2節)
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創世記Ⅰ

さて、今回からは旧約聖書の創世記を見ていきたいと思う。とは言っても私は牧師でも伝道師でも宣教師でも何でもないので、たいしたことは書けないだろうし、人に何かを教えようなどという考えもない。もっとも大学で聖書を学んだことはあるし、聖書の勉強会で何度か教えたことはあるが、それは遠い昔の話である。まぁ、十年とちょい前を遠い昔と呼ぶかどうかには異論があるかもしれないが、会社員をやっている今、学生をやっていたあの頃を振り返ると遙か昔のことに思えてしまうのである。

それはそうと、聖書は神学を勉強した人のために書かれた本ではない。誰か特定の人たちを読者として視野に入れて書かれた本でもない。聖書という一冊の本は何世紀もの時間を経て完成されたものであって、書く前に読者を想定することはまず無理なことでもあり、あり得ないことでもある。確かに、聖書の中の個々の書だけを見て言うならば、「誰々の手紙」という書があることからも分かるように、筆者が意図した元々の読者というのがいるだろうが、彼らだけが読者であるのならば、聖書に残り後世に伝えられるようなことはなかったであろう。
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