地球外知的生命体が存在するかどうか

天文学が私の受けていたクラスの中では一番面白い内容のものであり、当然面白いから一番興味を持って授業を受けていたので、「天文学に興味があります」と親切にも英会話を教えてくださっているコリンズじいさんに私は答えたのであった。

「ほぅ、天文学かね。惑星とか星とか宇宙とかについて勉強しているんだね。そうか、興味深いことだろう。で、特に興味のあることとかあるのかね?」

さて、そのクラスでは学期末に自分で決めたテーマに従って調べた結果を小論文として提出しなければいけないという課題があったので、それに向けていろいろと考えていたので、コリンズさんの質問には悩むこともなく答えることができた。

「地球外知的生命体が存在するかどうかについて特に興味があります。」

「ふむ、君は宇宙に他の知能のある生き物がいると思うかね?」

「ええ、宇宙は広いですから、どこかにいると思っています。」

するとコリンズさんはちょっと考えてから言われた。

「私はだね、宇宙の中で地球だけが生物の存在する惑星だと思っている。なぜかと言うとだね、神が世界をお創りになったときに、神がこの地球を創られて、生命をこの惑星の上に創られたからなのだよ。聖書にそう書かれているのだよ。」

「なるほど・・・。」コリンズさんはお歳を召しているためか考え方が古風だなぁと思ってしまうのと、私の考えに賛同してもらえなかったのがちょっと残念に思うのとで、なんとも気分がすっきりしないまま、その日の英会話レッスンは進んだのであった。

シアトルはそれなりの都会ではあっても、ロスやニューヨークといった誰でも知っているような大都会ではなく、夜の空を見上げると星が輝いているのを見ることは簡単なことであった。当時私はダウンタウンからバスで十五分くらいかかる離れた場所にアパートを借りて住んでいたので、そこからは空を見上げれば星を見つけ出すのはなおさら容易いことであった。

さて、その日の夜であったか、別の晩のことであったか、思い出すことはできないが、自分のアパートに入るときにふと見上げた暗い空には星がいくつか瞬いていた。果たして宇宙には他の知的生命体が存在するのであろうか、それともそんなものはいないのであろうか・・・。どんなに私が考えたところで、結論が出せることではなかった。

目を閉じて地球の向こうの世界に想像の目を向けてみよう。地球の周りをまわる月があり、そして隣には地球と同じように太陽の周りをまわる火星がある。太陽系を飛び出すと、何もない空間が広がり、やがて別の太陽系に達することができるだろう、さらに進むと銀河系を抜け出す。銀河系だけでも幾千万もの星があることだろう。そして銀河系を飛び出して何もない空間から周りを見回すと、おなじく幾千万もの銀河があることだろう。これだけ広い宇宙に他の生命がないと信じる方がむしろ無理な気がした。どこで終わるか図り知ることのできない宇宙の広がりの中で、地球にだけ生命が存在するとしたら、もし人間だけが唯一の文明と文化を持つ生命体であるとしたら、むしろ私たちは宇宙においてなんとも孤独な存在ではないかと思わずにいられなかった。

そのように考えていた私にとってコリンズさんの発言というのはむしろ受け入れられないものであった。「神が地球に生命を創られたので、それが唯一の生命である」というのはいくらなんでも閉鎖的過ぎる気がした。しかし、コリンズさん自身が考えていること信じていることを、こうまではっきり言われると、私の考えていることの方が、あやふやなことのようで、頼りがいのない考え方のように思われてしまった。「宇宙は広い。だから、他の生命がいるかもしれない」という私の発言は根拠もなければ、科学的でもなんでもないように思えた。

(続く)