いつもある場所に、ない

教会に入り、人で賑わうホールのような場所を抜け、勢いに流されるまま礼拝堂と思われる広い場所にたどり着いた。そこには木製のベンチにクッションがついたような長椅子があり、私たちはそのひとつに着席させられた。薄暗く厳かな礼拝堂を見回すと、どこを見ても人ばかりである。日本にいる頃は教会というものの存在があまり目に付かなかったせいか、真面目に教会に行く人というのを見たことも聞いたこともなかった。正直なところ、もし教会に通う人というのがいるならば、おそらく隠れ切支丹のような目立たぬひっそりとした存在だろうと思っていた程度である。ところが、私が連れられてやってきた教会は、クリスマスだからというのもあるのだろうけれど、人で溢れんばかりである。国柄の違いか、それとも文化の違いか、とにかく不思議な光景であった。

さて、クリスマスコンサート、その後のマッスルマン家でのパーティーも楽しく愉快なものであった。あまりに楽しみすぎたせいか、今となっては何がどう楽しかったのかを思い出すことが実に難しい。プレゼント交換で一体全体私が何を当てたのかさえ思い出すことができない。もっとも細かいことをごちゃごちゃ述べようとして、あれをしたこれをしただのといちいち思い出そうと努力してしまうと、せっかくの楽しかったという感動が褪せてしまいそうなので、何も言わないでおこう。その夕べはすべてが流れるようで、テンポのよい映画を見ている時と似たような心地の良さであった。こんな良い気分になったのはいったいどれくらいぶりであろうかと思えるくらいであった。

そして、夜もだいぶ遅くなった頃、車でアパートの近くまで送ってもらった。コンサートとパーティーの余韻に浸りながら足取りも軽く帰る私であったが、あれほど日常とはかけ離れた経験をして、なおかつそれが楽しいのひとことに尽きるものであったものだから、いざ自分のアパートの前に立つと現実という大波が押し寄せてきて、私に覆い被さってくるようだった。さて現実を受け入れなければと自分に言い聞かせながら、またひとりぼっちになってしまったなぁと思い、諦めた気持ちでアパートの鍵を回した。ん?ドアが開かない。もう一度回してみる。今度は開いた。部屋に入りつつアタマを整理してみると、どうやらドアに最初から鍵がかけられていなかったようである。無用心でいけない、これからは気をつけないと、そう自分に言い聞かせてみるが、どうにも自分が鍵を掛けるのを忘れたわけがない、との考えも拭いきれない。そんなことを考えながら、ひとり部屋のなかで座っていると、妙に寂しくなってくるのである。ついさっきまでのクリスマスツリーの飾ってある部屋で大勢集まって、デザートを食べながら、クリスマスの話に耳を傾け、キャロルを歌い、プレゼント交換をしていたのは、あれはすべて夢だったのだろうかという考えが浮かんでは消えてゆくのである。これはいかん、音楽でも聴いて気を紛らわそうと、ラジオをいれようと思い手を伸ばした。おや?いくら手を伸ばしてもラジオに届かない。いつもある場所に、ない。目で見ても、ない。

次の瞬間、アパートにひとりでいるという寂しさも、クリスマスの夢のような賑やかさの余韻も、宇宙の彼方にぶっとんでしまった。そして、私は驚きと恐れと怒りでアタマの先から足の先までいっぱいになってしまったのである。なんと台所の横の窓ガラスが無残にも粉々に割れているではないか。どうやら私が留守にしている間に何者かが、台所の窓をぶち破って侵入し、ラジオとコインランドリー用にとっておいた小銭とを盗んで、玄関から堂々と出て行ったらしい。貧乏学生から盗むとは!腹立たしいことこの上ない。

まずは警察に連絡である。ところが、向こうも土曜の夜で血生臭い事件の方が多いためか、現在進行形でない盗難事件の優先度は低いらしく、警察官の到着までしばらく時間がかかるかもしれないと言われてしまった。さて、どうしたものか。窓の割られた部屋で夜を過ごす気にはならない。まずは安全な寝床の確保をしなければならない。さて、手もとにある電話番号は三つ。ひとつは実家の番号。しかし、日本に電話を掛けてもどうにかなるわけでもない。二つ目は知人の番号。しかし、シアトル郊外に住んでいるし、夜も遅くに「泊まりに行かせて欲しい」とは、いくら遠慮しなくていいと言われていたとしても、やはり気が引けてしまう。そして三つ目はマッスルマンさんの番号。

(続く)