平穏な日々

実に不愉快な思いをさせられながら朝を終えたが、マッスルマンさんにメキシコ料理をご馳走になったので、だいぶ気分がすっきりした。やはり食べ物は人を元気にさせる不思議な力をもっているのだろうか。さて、家に戻り、キッチンで一休みをしていると、キムさんとブルースさんが、こう聞いてきた。

「どうだろう、そろそろクリスチャンになってみては?」

私がクリスチャンでなかったために、教会で苦い思いをしたのを見て、彼らも考えるところが何かあったのかもしれない。しかし、そのような彼らの問いに対して、私には返す言葉が見つからなかった。いや、彼らの質問に疑問を抱いたわけでもなければ、反感を覚えたわけでもない。また、その質問を意外なこととも思わなかったし、どちらかと言えば、いつかは聞かれるかもしれないと考えていたくらいである。それどころか、そのようなことを聞いてくれるのは、私にとってはむしろ嬉しいことであった。なぜならば、私にそう聞いてくるということは、クリスチャンの仲間として私を迎え入れることを、彼ら自身が望んでいることの現われであるとも思えたからである。たしかに、彼らの言う通り、クリスチャンになれるのならば、文句なしに素晴らしいことであったろう。しかし、どう考えても、自分自身を見つめてみると、クリスチャンになるのにふさわしい人間とは思えなかったのである。だから私は彼らに答えることができずに黙っていたのである。

「まぁ、ゆっくり考えてみるといいと思うよ。無理にとは言わないから、自分で準備ができたと思ったら、その時になればいいさ。」

一日一日と夏に近づいてきた。サマータイムのおかげで一日のうちでも日の照っている時間の方が長いのでは、と感じられるようになり、自然と気持ちは晴れやかになる。私個人について言えば、学期末に向けてレポートやら試験勉強やらに追われ、また週末の聖書の勉強も継続していたし、時にはマッスルマン家の二人娘の相手もすることもあったので、その日その日の生活をしていくことに夢中になっていた。おかげで嫌なことに出くわすこともなければ、難しいことを考えることもなく、時間は流れていった。平和と言えば、平和そのものであった。

一方、先頃の事件にも関わらず、教会にも相変わらず毎週のように通っていた。平穏な日々が続いていたある日曜、その日は賛美のグループをどこからか招いていたらしく、礼拝の様子が普段の日曜とは違っていた。いつもならば歌を歌うのは自分たちだけなのであるが、この時は、もちろん自分たちでも歌ったが、それだけではなく、そのグループが賛美するのを聞くだけのこともあった。ある意味コンサートに近いものだ。さて、彼らが何を歌っているのか、私には全くと言っていい程分からなかったし、彼らが上手いのかどうかも定かではなかった。まぁ、聞いていて感心しなかったことを今になって思い出すと、さほど印象的なものではなかったのであろう。ところで時が経ち、私がクリスチャンになってから、何度か有名なクリスチャンミュージシャンのコンサートに行ったが、その時の様子などを思い出すと、やはりあの日曜に歌った人たちはアマチュアだったのかもしれない。

そのような具合だったので、彼らの賛美はどうというほどのものではなかった。一通り彼らが歌い終わると、その中の一人が前に出て、なにやら牧師先生が話すように神様のことなどを話し始めたのである。なにやら話していたので、ふむふむと感銘を受けることもなく聞いていたのであるが、あるタイミングで私がおそらく一生忘れることがないであろうことを言ったのである。今まで聖書の勉強会に参加したり教会の礼拝に出席したりクリスチャンの人たちの話を聞いたりと、いろいろなところで神様の話を聞いてきたが、その人が言うことをそれまでには聞いたことがなかった。もしかしたら、聞いたことはあったが、気に留めなかっただけかもしれない。

(続く)