ハムの失敗

遠い昔、ハムという男がいた。ハムはノアの三人の息子の一人であった。彼の兄の名はセムであり、彼の弟 の名はヤペテであった。彼の父のノアと言えば、あの箱舟の話で有名なノアのことである。聖書を読んだことがなくとも、教会に行ったことがなかったとしても、それに信仰を持っていなかったとして、誰でもどこかで一度くらいは、ノアの箱舟の話を聞いたことがあるかもしれないし、どんなものであるかも大筋くらいは知っているだろう。より詳しく知りたいのであれば、旧約聖書の創世記6~8章を読めばよい。ところで今回はノアに注目するのではなく、ノアの息子について見ていこうと思う。ノアの息子に対して、特別な思い入れがあるわけではない。ノアについては今までにも幾度か見てきたので、ちょっと違う視点から遠い昔に生きた人物を見てみようかと考えたまでだ。

ところで今回見てみようと思うハムであるが、ノアの三人息子の次男である。ハムといえば……ボンレスハ ムだのロースハムだの生ハムなどと、おもしろくもないシャレを並べ立てても埒が明かないが、繰り返しハム、ハムと言ってしまうと、腹が減っているのであればなおさら、スーパーの食肉コーナーで売られているものを連想してしまいそうだ。などと無駄な話はこれくらいにして本題に戻ろう。

このハムという者であるが、果たしてどのような人物であったのだろうか。まずノアを父に持ったことを考 えると、ノアほどではなかったかもしれないが、神に対する信仰心はあっただろうと思われる。当時の堕落し悪に満ちた世界にあって彼の父は「正しい人であって、その時代にあっても、全き人で……神とともに歩んだ」(創世記6章9節)と聖書に記録されているほどだ。まるで前回見たエノクのような人物ではないか。そのような父の姿を見ながら育ってきたであろうし、人々に嘲笑されながらも、ただ一筋に神のことばに従って箱舟を建造した父を間近に見たであろう。そして父に言われて舟に乗り洪水の被害を免れたことで、より一層父の信仰に心服するとともに、神の力強さに畏敬の念を抱いたことだろう。神が地上の悪を滅ぼした現実を目の当たりにしながら、まさか神に背を向けるような愚かなことはしなかっただろう。それほど愚かであれば、おそらく父の言葉を信じないでいて、とっくに洪水に飲まれてしまったことだろう。

しかしハムの父が神に忠実に生きた人であったということを除いては、彼自身にはこれといって何か優れた ものを持っていたというわけでもなさそうである。彼に父ほどの信仰があれば、おそらく聖書に彼の物語も残されていたであろうし、神は彼を通して何かを行ったかもしれない。

それどころか彼に関する記録と言えば、失敗談に等しいものがひとつ残されているだけである。何と言うか 、さすがにちょっと彼に同情さえ感じてしまうほどだ。信仰的に考えると、運が良いとか運が悪いとかいう考え方はあまり正しくはないのだが、彼の話を聞くと「運が悪い人だ」と言いたくなってしまう。

さて洪水が明けて、地上が再び動物と植物で満たされるようになった時、ノアはぶどうを育てる農夫になっ たそうだ。ある日のこと彼はぶとう酒を飲み過ぎて、すっかり酔ってしまったそうだ。そしてテントの中で裸のまま眠ってしまったというではないか。ぶとう畑を持っていたことから想像するに、おそらく自分で作ったぶどう酒なのだろう。どれだけ飲もうとノアの自由であろうが、さすがにつぶれるまで飲んでしまうとは、ちょっと行き過ぎなように思えなくもない。そんな父の姿を発見してしまったのがハムなのである。

これがハムにとっての「不運」であった。彼はさっそく兄と弟に伝えたところ、二人は父のみっともない姿 を見ないように、またそのような姿を人にさらすことのないようにと、父に毛布を掛けたのだった。ところが目が覚めてから事の顛末を知ったノアはこう言ったのである。「のろわれよ。カナン(ハムの子)。兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」(同9章25節)

そもそもの原因を作ったのはノア自身であったにしても、ハムとその子孫が呪われた理由は、おそらく彼が 父の恥を隠そうとしなかったからだろう。原因は自分にはないにしても、人の過ちを隠す寛容さが求められいるのだろう。

何よりキリスト御自身が私たちの罪を、覆い隠して下さったではないか。