エサウの驕り

遠い昔、エサウという男がいた。エサウはイサクの息子であり、彼の祖父はアブラハムであった。ところで エサウにはヤコブという名の双子の弟がいたのだが、この二人は似ても似つかぬ兄弟であったらしい。兄であるエサウが毛深く、野に出て狩りをするのを好んだという。またヤコブはどちらかいうとおとなしい性格だったという。活動的な兄に、内向的な弟という具合で何とも対照的である。父はエサウを愛し、母はヤコブを愛したという。などというような話を聞くと、二人の容姿までもが容易に想像できてしまいそうだ。

あくまでも私の想像であるが、エサウは長男でもあり、父親から大事にされていたこともあって、どこか弟 に対して見下すところがあったのかもしれない。太陽が大地を照らす時間のほとんどを野で過し、けものを捕らえて暮らしていたエサウからしてみれば、テントの中でおとなしく過している弟の姿というのは、頼りなく見えたことだろう。もっと極端な言い方をすれば、役立たずで無能で甲斐性のない者だと思っていたかもしれない。これが彼の驕りであったと言えなくもないだろう。その一方で、ヤコブは兄のことをどう思っていただろうか。おそらく兄の様子や態度から、自分がどのように思われているかをうすうす感じていたかもしれない。もしかしたら、いつか兄を見返してやろうと思っていた節もあっただろう。

ちょっとばかり話が前後してしまうが、この二人が誕生したときのことが、このように記録されている。「 そのあとで弟が出て来たが、その手はエサウのかかとをつかんでいた。」(創世記25章26節)つまり生まれたときから二人の確執は始まっていたと言えなくもないだろう。本当のことなのか、それとも何らかのたとえなのかはともかくとして、二人の将来は穏やかなものとはほど遠いものになりそうな予感をにおわせている。何よりもそれを裏付けるかのように、二人が生まれる前に神はこのように仰っていた。「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える。」(同23節)

つまりエサウは兄として生まれたが、いつまでも兄として弟の前に立つことはできないという神の預言であ る。彼らの子孫の代になると、エサウの家系はヤコブの家系の前に屈するということだ。はたしてエサウとヤコブはこの預言を知っていたであろうか。神はこのことを二人の母に語ったのであるが、果たして彼女は誰かに伝えたのだろうか。もっとも誰かに伝えたのだろうから、こうして記録に残っているのであろうが。

これも私の勝手な想像でしかないが、もしかしたらヤコブは知っていたかもしれない。何と言っても彼は母 親から好かれていたではないか。このような会話があったとしてもおかしくはないのでは。「ヤコブ、きっとあなたは兄さんのエサウよりも祝福された者になるのですよ、神がそう仰っておりましたから。よいですね。」

三つ子のたましい百までと言うくらいだから、もしかしたらこの言葉はヤコブのわだかまりになっていたか もしれない。さらに悪意からではなかったとしても驕慢で粗暴に振る舞う兄を厭わしく感じていたかもしれない。

ある日のこと、腹を空かせて狩りから戻ってきたエサウは、ヤコブがシチューを作っているの見るや開口一 番、それを食べさせろと言った。弟は機会到来とばかり兄から何かを奪おうと思ったのか、シチューと交換で長子の権利が欲しいと言った。食えぬ権利よりも目先の食べ物を望んでいたエサウはためらうことなく弟の申し出を受け入れたのだった。これをきっかけに後々兄弟の立場が逆転することになるのだ。

エサウの問題は長子の権利を軽んじたことにある。しかしそうなるに至るにはそれなりの原因があったので はないか。エサウはおそらく自分が長子であるという事実だけを見て、それが神からの祝福であろうとは思っていなかったのだろう。彼は自分が長男であり父に愛されているという驕り、そして空腹という今の欲望……つまり自分自身で感じることのできる自分を中心とした世界がすべてであったのではないだろうか。

エサウでなくとも人は自分の身近なところばかりを見てしまうものだ。しかし自分を中心にしていると、神 の与えようとしている祝福を惜しくも逃してしまうことになるかもしれない。