アロンの偶像

遠い昔、アロンと言う男がいた。アロンはモーセの三歳年上の兄であった。モーセは葦の茂みに隠されたと 記録されているが、アロンについてはそのような話を聞いたことがない。はたしてパロが生まれたばかりのイスラエルの男子を殺せという命令を出す前に誕生していたのだろうか。それともエジプト人の目から隠されていたのだろうか。アロンについては何も書かれていないので、実際どうであったのかは分からないが、確かなことはモーセがパロの娘に拾われたことによって、兄弟は生き別れになってしまったということだ。兄はイスラエル人であるがゆえに奴隷のようにこき使われ、弟はエジプト王家の一員として育てられることになったのだ。もしモーセがそのままの人生を歩んでいたならば、二人は一生出会うことはなかったであろうし、出会ったとしてもお互いに気付くことさえなかったであろう。何と言っても、二人が別れたとき、アロンは三歳であったし、モーセはまだ赤ん坊であった。お互いを覚えているわけはないだろう。

ところがモーセがエジプトを逃れミデヤンで生活するようになり、彼が羊飼いとして働いている時に、神の 山ホレブで神に出会ったことがきっかけとなって、アロンとモーセは再会することになったのだ。

すなわち二人の再会のきっかけはこうである。神はモーセの前に現れた時に、イスラエルの民をエジプトか ら救い出すことを約束した。しかしそれを実現するためには、モーセにイスラエルの民を説得し、エジプトの王に民を解放するように言うようにと命じた。モーセは素直に神に命令に従ったかというと、そうではなかった。それどころかモーセはこう言い訳をした。「ああ主よ。私はことばの人ではありません。以前からそうでしたし、あなたがしもべに語られてからもそうです。私は口が重く、舌が重いのです。……どうかほかの人を遣わしてください。」(出エジプト記4章10、13節)

要するに自分は口下手なので、イスラエルの民に語ることもできないし、ましてやエジプト王の前に出るこ となど不可能であると言い訳を並べたのだ。誰か別の適任者を探して欲しいとは、何とも逃げ腰ではないか。そのようなわけで、神がモーセの代弁者として立てたのが兄アロンであった。二人はいわば神に導かれて、イスラエルの解放という共通の目的を実現するために、再会を果たしたのだ。「主はアロンに仰せられた。『荒野に行って、モーセに会え。』彼は行って、神の山でモーセに会い、口づけした。」(同27節)なんと二人が別れてから八十年も経ってからのことである。

神は二人を通してイスラエルの民をエジプトから脱出させることに成功したのだが、いざエジプトを後にす ると、人々は古き良き時代とばかりに、神に対して心を頑なにしてしまったという。それがゆえに人々は約束の地にたどり着くことができず、荒野をさまようことになってしまった。もちろんモーセとアロンもイスラエルの民と一緒に荒野をさまようことになった。そのような時代に、アロンはイスラエルの民の指導者とも言える祭司となった。

そのようにイスラエルの民が神に対して従順でなかった時代、モーセは神と直接会話をするために山に登っ ていった。一方で後に残された民衆の不満は、抑えきれないほどに膨らむのだった。とうとう彼らはアロンのところへ押しかけてきて、こう申し立てた。「さあ、私たちに先立って行く神を、造ってください。私たちをエジプトの地から連れ上ったあのモーセという者が、どうなったのか、私たちにはわからないから。」(同32章1節)

民衆の言葉を聞いてアロンはどうしたか。神に立てられた祭司として、またモーセと長い時間を過し神の力 を存分に経験してきた者として、神に逆らおうとする民衆を叱っただろうか。いや、むしろ民衆に抗うことができずに自ら進んで金の子牛の像を作り、さらに祭壇を設けて「あすは主への祭りである」(同5節)と宣言してたのだ。

その後、山から降りてきたモーセはこの様子を見るや怒りを燃え上がらせたという。

人にとって見えない神を信じるのは難しいことであろうが、それにしても目に見える神を求める人々の何と 多いことか。まことの神を知る者として、人から尋ねられた時、人に伝える時、本当の神を示すことができるようにありたいものである。