エフタの従順

遠い昔、エフタと言う男がいた。エフタには兄弟がいたのだが、どちらかと言えば兄弟仲は良い方ではなかった……と言うと、控え目な言い方になってしまいそうである。聖書を読む限りでは、兄弟仲が悪かったのは明らかである。それというのも、彼が異母兄弟であったからだ。異母兄弟と言っても、さらに彼の立場を悪くしたのは、彼の母親が遊女であったことだろう。エフタは兄弟たちに疎まれて、挙げ句に家から追い出されてしまった。

ところでエフタは追い出されてからと言って、それを嘆いて日々を送るというような性格の人物ではなかったようだ。「ギルアデ人エフタは勇士であった」(士師記11章1節)とも書かれているように、芯の太い者であったろう。もしかしたらそれも彼が兄弟たちからつまはじきにされたことの遠因だったのかもしれない。遊女の子のくせに生意気だ、くらいのことを言われて育ってきたのかもしれない。

ところでその頃、アモン人がイスラエルに戦争を仕掛けてきたという。しかしイスラエルには優れた戦士がいなかったらしい。そこでギルアデの長老たちはどうしたかというとエフタのところへやってきて、こう頼んだのだ。「来て、私たちの首領になってください。そしてアモン人と戦いましょう。」(同6節)なんと調子の良い人々であろうか。一度は彼のことを追い出しておきながら、自分たちが窮地に陥ると、手のひらを返したように助けを求めてきたのだ。突然の申し出に対して、エフタはこう答えたそうだ。「あなたがたは私を憎んで、私の父の家から追い出したではありませんか。あなたがたが苦しみに会ったからといって、今なぜ私のところにやって来るのですか。」(同7節)

しかし長老たちも必死である。エフタの力だけが頼りだった。そこで彼らはひとつの条件を提案したのだ。「あなたが私たちといっしょに行き、アモン人と戦ってくださるなら、あなたは、私たちギルアデの住民全体のかしらになるのです。」(同8節)つまり戦いに勝利をしたあかつきには、エフタを王にするということである。はたして彼にそのような野心があったかどうかは分からないが、彼はこの条件をのむことにした。「もしあなたがたが、私を連れ戻して、アモン人と戦わせ、主が彼らを私に渡してくださったら、私はあなたがたのかしらになりましょう。」(同9節)

エフタは勇者であったが、彼はただ力が強いとか、戦いの経験が豊富だったとか、優秀な部下を引き連れていたとか、それだけの理由で彼が人々から期待されていたというわけではなさそうである。彼には神を信じる信仰があったことが、もしかしたら一番の理由だったのかもしれない。エフタ自身も神に助けを求めることが、イスラエルを救い出す唯一の手段であることを知っていたのだろう。神がアモン人を渡してくださるのであれば、つまり神が助けてくれるのであれば、私は王になると人々に伝えたのである。人から頼られたからといって、彼はそれを理由におごることがなかった。

さらに彼は戦を前にして、神にこのような誓願を立てた。「もしあなたが確かにアモン人を私の手に与えてくださるなら、……私の家の戸口から私を迎えに出て来る、……その者を全焼のいけにえとしてささげます。」(同30~31節)そして彼はアモン人のところへ出て行って戦ったのだが、確かに「主は彼らをエフタの手に渡された」(同32節)のだった。やがてイスラエル人は激しくアモン人を打ち負かすことができたのだ。

さてエフタが家に帰ってくると、彼のたった一人の娘がタンバリンを鳴らしながら、彼を出迎えたのだった。普通であれば、ここは大いに喜ぶべきところであろう。ところが彼は神とひとつの約束をしていたのだ。そのため彼はたった一人の娘をいけにえとしなければならなくなったのだ。喜びの頂点から絶望のどん底に一瞬にして突き落とされたようなものであろう。もしかしたらアモン人との戦よりも彼にとっては大きな試練となったことだろう。彼がそうすることを望んだのであれば、彼は神との約束を破り逃げ出すこともできたであろう。結果がどう出るか分からなかったにしても、その機会はあったはずだ。ところがエフタも彼の娘も、あくまでも神に対して忠実であった。親子にとってはつらいことであったが、恐れと不安に追われて生き続けるよりは、たった一人のわが子をいけにえに捧げる方を選んだのだ。はたしてそこまでする必要があったのだろうかと、今の時代を生きる私たちは思うのだが、考えてみると神ご自身もたったひとりの息子を捧げたではないか。そう考えると、私たちが負うべき犠牲など取るに足りないものなのかもしれない。