ダビデの石

遠い昔、ダビデと言う男がいた。ダビデがイスラエルの王であったことは有名な話なので、今さら説明するまでもないだろう。彼について書くとすれば、多くを要するだろうから、ここでは一部だけを見ていこう。

ところで王位というものは、古今東西さまざまな文明を通じて世襲されることが普通である。そう考えてみると、前回も見たとおりヨナタンはサウルの息子であり、王位を継ぐ資格はあるようだし、父と比べてみても民から支持されており、神に対する信頼という点においても不足はなかった。ところが彼は王にならなかったのである。それというのも父サウルが神のことばに従わなかったからだ。それは預言者サムエルがサウルに次のように告げたことからも分かる。「まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。……主は、きょう、あなたからイスラエル王国を引き裂いて、これをあなたよりすぐれたあなたの友に与えられました。」(Ⅰサムエル記15章23、28節)社会的にはサウルは依然として王であったかもしれないが、すでに神は彼を見限っていた。もはやサウルの家から王になるものはでないことは決定的となった。

そのようなわけで神はサムエルをこう告げて、新たに王となるべき人物を見つけるために彼を使いに送り出したのだった。「角に油を満たして行け。あなたをベツレヘム人エッサイのところへ遣わす。わたしは彼の息子たちの中に、わたしのために、王を見つけたから。」(同16章1節)

さてダビデはエッサイの息子であったが、彼は末っ子ということもあり、どちらかといえば目立たない者であったようだ。まずサムエルが最初に目を留めたのは長男エリアブであった。彼を見るやサムエルは心の内でエリアブこそが油注がれるに相応しい人物であると思ったようであるが、神の思惑は違った。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」(同7節)これではサウルの二の舞に成りかねないからだろう。またエッサイは次男アビナダブや三男シャマそしてその兄弟たち、合わせて七人の息子を紹介したが、誰一人として神の目に適う者はいなかった。サムエルが他に息子がいないかと問うと、ダビデという末の息子が羊の番をするために外出していると答えたのだが、他の兄弟はすべて揃っていたにもかかわらずダビデだけが仕事をしていたことを考えると、エッサイはそもそもダビデが特別な存在になるであろうことなど考えてもいなかったのだろう。ところがダビデが戻って来るや、神はこのようにサムエルに告げたのだ。「さあ、この者に油を注げ。この者がそれだ。」(同12節)

そしてその日を境に主の霊はダビデと共にあるようになり、その一方でサムエルから去ってしまった。このように神の計画にあってはまるで対照的な二人であったが、社会的にはダビデはサウルの元で彼に仕えるようになった。

ところでイスラエル人とペリシテ人との確執はまだこの時も続いていた。ちょうどその頃、ペリシテにはゴリアテという戦士がおり、彼はイスラエルの戦士と一対一での対決を望んでいた。彼は負けた方が勝った方に従属するべきだと声を上げていた。ところがイスラエルからは誰もゴリアテを相手にする勇敢な者は現れず、四十日の間イスラエルの民を恐怖させていた。奇しくも四十日と言えば、ノアの時代に雨が降り続けた日数と同じであるから何やら運命的なものを感じてしまう。そして四十日が過ぎた頃、ダビデが相手をすると宣言したのだった。ダビデは戦士ではなかったし、戦い方もろくに知らなかったであろう。サウルは彼に甲冑や剣を与えたが、扱いに慣れていなかったために、結局外してしまった。しかし彼にはひとつの確信があった。「……主は、あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。」(同17章37節)

後は有名な話なので、ここでは細かく書かないが、ダビデは羊飼いが害獣を退治するのと同じ方法でゴリアテを倒したのだ。ダビデは慣れない戦士の真似事をしようとはせずに、自分が常日頃からしてきたことをしただけだった。派手なことをせずとも、信仰による地味な行いには、ダビデの投げたひとつの石がゴリアテを倒したように、一見解決できないような困難さえも打破する力があるのだろう。