クロスの政策

遠い昔、クロスと言う男がいた。クロスと聞くと、まず思い浮かぶものは十字架かもしれない。しかしながら、今回登場するクロスとは十字架のことではない。冒頭にもあるように人の名前である。何者の名前かというと、ある王の名前である。王というと、サウル、ダビデ、ソロモンと今まで見てきたので、その流れでイスラエルの王かと考えてしまいそうになるが、実はイスラエルの王ではなくてペルシヤの王である。それにしても、どうしてここに来て外国の王が出てくるのだろうか。それはこの王がイスラエルの民に善を行ったからである。もっともクロスが舞台に上がってくるのはソロモンの時代から数百年ほど経った後のことであるが。

さてソロモンの後にイスラエルの王になった者は誰だったかというと、実は二人いた。ひとりはソロモンの家来であったヤロブアムであり、もうひとりはソロモンの子レハブアムであった。これがきっかけとなりイスラエルは分断され二つの王国にわかれてしまったのだ。それぞれの王国は異なる王によって治められるようになった。それらの王が神の前に正しく歩んだのであれば何も問題になるようなことはなかったのだが、時間の経過とともに王も国民も神から離れてしまうようになった。もちろん神の教えに従って、神の望むところを行う王もいたことにはいたのだが、やはり神を顧みることもなく国民を誤った道へ導く王が多かったのも事実だ。よもや義なる神がいつまでもこのような状況を看過されることはなかった。まずヤロブアムが興した王国がアッシリヤによって攻められ、国民は捕虜とされてしまった。その後百数十年経った後、こんどはレハブアムの興した王国がバビロンによって滅ぼされてしまい、やはり国民は捕虜として連れられていってしまったのだ。これが世界史の授業でもならった「バビロン捕囚」という事件である。

しかしアッシリヤはバビロンに滅ぼされ、バビロンもペルシヤに滅ぼされてしまった。歴史が途絶えることなく過ぎていくなかで、イスラエルの民はいつしかペルシヤの支配下に置かれるようになってしまったのだ。

ところが結果としてはこれが彼らにとって幸いしたのである。それというのも、ペルシヤの王クロスは、イスラエルの民にこのように命じられたからだ。「あなたがた、すべて主の民に属する者はだれでも、その神がその者とともにおられるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。」(エズラ記1章3節)

それにしても、クロス自身はイスラエル人でもなければ、イスラエルの神に対しての個人的な信仰を持っていたわけでもないであろうに、なぜイスラエル人に神殿の再建を命じたのであろうか。一説によると、彼は様々な宗教に対して寛容であり、今で言うところの「信教の自由」をその支配下の民族に認めていたという。なるほど、それならばこのようなことがあったとしても不思議ではあるまい。しかしその一方で、聖書にはこう書かれている。「主はペルシヤの王クロスの霊を奮い立たせた」(同1節)確かにこれは彼の政策によるものだったのかもしれないが、その根底にはやはり神の働きがあったということであろう。

こうしてクロス王の命令によりイスラエルの民は再び神殿を築くことで、すなわち彼らはひとつの民族として集うことができるようになり、また神を礼拝することができるようになったのである。「神にその霊を奮い立たされた者はみな、エルサレムにある主の宮を建てるために上って行こうと立ち上がった。」(同5節)人々は喜びで満たされていたことだろう。

神を求め、神に礼拝を捧げたいと思うのであれば、神はそのような機会を与えて下さるということかもしれない。たとえ周囲の状況がどうであれ、また過去の自分たちの行いがどうであれ、人々が過去の過ちを反省し、再び神のもとに戻りたいと感じている人がいるのであれば、それが実現するだけの環境を備えて下さるのだろう。そしてそれは時に人の想像を超えた方法で実現することもあるのだろう。まさしく神にとって不可能なことはない。