エズラの持っていたもの

遠い昔、エズラと言う男がいた。エズラが何者であるかは、私があれこれと説明するまでもあるまい。聖書にこう書いてある通りである。「エズラは、主の律法を調べ、これを実行し、イスラエルでおきてと定めを教えようとして、心を定めていたからである。……エズラは、主の命令のことばと、イスラエルに関する主のおきてに精通した学者であった。」(エズラ記7章10~11節)分かりやすく言うのであれば、彼は聖書のことばに通じていたということだ。とは言っても、それのどこが特別なのであろうか。彼の前にも神のことばに通じていた人々、とくに祭司たちがいたわけだが、なぜ彼に限っては後の世にまで、聖書の中の一冊の書の題名として彼自身の名を残すことになったのだろうか。

もっとも聖書と言っても今のように完成した一冊の書物ではなかっただろうが、イスラエルの民なのだから、神のことばをある程度知っていたとしても不思議ではないだろう、と考えてしまいそうになる。そう考えるとエズラの他にも聖書に通じていた者はいたのではないかとも思えてくるのだ。が、どうやら現実はそうでなかったかもしれない。もっともこれは私の憶測でしかないだが……イスラエルの民は長いこと外国で暮らしていたのである。二年とか三年などというものではない。アッシリヤに拉致された人々は何百年もの年月を異国で過ごしたのである。果たしてそのような状況に置かれたとして、人々は先祖代々伝えられてきたものをいつまでも持ち続けることができただろうか。今とは違って記録する媒体や伝える手段の限られた時代のことである。困難を極めたことだろう。

私も学生の頃、六年程アメリカで過ごしたことがある。若かったから、というのも理由のひとつであるかもしれないが、たったそれだけの期間でもアメリカの文化とか習慣とか考え方に染まってしまったのである。気付いてみれば帰国してから十数年も経ったわけだが、それでも当時の感覚というか気分というか、そのようなものがどこかしら抜けないでいるのも事実である。ましてや数世代に渡って異国で過ごしてきたイスラエルの民の多くはイスラエルの民としての考え方や風習といったものを忘れていたとしても不思議ではないだろう。おそらく信仰についても本来のあるべき姿から、多かれ少なかれ逸脱していたかもしれない。これは彼らの信仰が足りなかったというよりも、彼らの置かれた状況を考えると自然なことだったのかもしれない。

当時のイスラエルの人々の気持ちとしては、父祖の信じた神を礼拝しようと願っていたかもしれないが、信仰のあり方や礼拝の姿勢などといったものについての必要な知識はおろか、手掛かりさえもなかったかもしれない。今でこそ聖書ははっきりとした形になっており、いつでも手に取り読むことができるので、信仰の望ましい姿を知ろうと思えば、そうすることができるのだが、当時にはそのようなものが何もなかったに違いない。

そう考えてみると、エズラが神のことばに精通していたのは、実に珍しい、いや、もしかしたら奇跡にも等しいことだったのではないだろうか。まさしく彼は多くのイスラエルの人々が願い、望み、求めていたにも関わらず、長いこと手に入れることのできなかった宝を持っていたようなものだ

神はイスラエルを再び国として建て直そうと考えておられたのだろう。しかし国を建て直す前にまずやらなくてはならないことがあった。何より国の土台となる人々を正しい道に戻す必要があったのではないだろうか。そのためにも神のことばと神のおきてとを人々に再び知らせようと、神はエズラを送ったのかもしれない。そして彼もまた自分の役割に気付いていたようだ。「私の神、主の御手が私の上にあったので、私は奮い立って、私といっしょに上るイスラエル人のかしらたちを集めることができた。」(同28節)

神のことば、それを知ることは神を知ることでもある。そして神を知るということは、神と出会う機会を持つことであり、神に出会うということは、すなわち神と共に歩むことになる。人が神のことばをしっかりと自分のものとすれば、エズラの上に神の御手があったように、私たちの上にも神はその御手をおいて下さることだろう。エズラが奮い立たされたように、私たちもまた励まされるのだろう。神の力を受けて、私たちはどのようなことにでも立ち向かうことができるのではないだろうか。