ダニエルの選んだ道

遠い昔、ダニエルと言う男がいた。どちらかと言えば、彼は聖書に登場する人物の中では有名な方だろうから、あまり詳しく述べるまでもないであろう。一文で説明すると、彼は捕囚によってバビロンへ連れてこられたイスラエル人の一人であり、バビロンの王が見た夢の意味を説き明かしたことで、その能力を認められ、権威ある地位を手に入れた人物である。などと書いてしまうと、何やらダニエルが世故に長けた、才覚のある人物のように思われてしまうが、実際はそれほどでもなかっただろう。彼の知恵と知識は神から与えられたものだった。しかしながら、ダニエルについて一番有名かつ知られているエピソードといえば、やはり彼とライオンの話ではないだろうか。

ところでその事件が起きた頃、ダニエルが仕えていた王は、彼を最初に認めた王ではなく、数えて三人目の王になっていた。つまり王が変わったにも関わらず、バビロンにおける彼の立場に変わりはなかったということだ。言い換えるならば、彼はただ王に気に入られていただけではなく、彼の為すことが広く人々から受け入れられていたのかもしれない。

さて三人目の王の治世に、王の名によってこのような触れが出された。「今から三十日間、王……以外に、いかなる神にも人にも、祈願をする者はだれでも、獅子の穴に投げ込まれる」(ダニエル書6章7節)もっともこれは王が自分で考えたことではなかった。その頃、ダニエルは国を治める三人の大臣のうちの一人として任命されていた。彼は優れた政治家であり、おそらく国民からの評判も上々だったのか、王は彼にすべての権限を与えて国を治めさせようかと考えていた。しかし彼の評判や成功を妬んだ他の大臣や長官は、何とかして彼を失脚させようと画策していたが、どうにも彼の政策に失敗を見出すことができなかったようだ。そこで彼らは別の方向からダニエルを陥れる策を考えたのだった。その結果として出されたのが、この命令であった。彼らはイスラエルの神への信仰の篤いダニエルであれば、おそらくこの命令に従うことはないであろうことを予想したに違いない。そして彼らの期待通り、ダニエルは王の名によって出された命令に従うこともなく「いつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝」(同10節)を捧げたのだった。

まさしく彼らの思う壺だ。彼らはさっそく王の前に出て、ダニエルが禁令を犯したことを報告したのだった。ところが王は怒るどころか、「非常に憂え、ダニエルを救おうと決心し、日暮れまで彼を助けようと努めた」(同14節)のだった。しかし王といえども自身の名によって布告された法には、ただ従うしかなかった。王は不本意であっただろうが、他の人々の手前もあり、ダニエルをライオンの住む穴に入れ、彼が逃げ出すことのできないように入り口を封印したのだった。その夜、王は不安と罪悪感に悩まされていたのか、食事も喉を通らず、また眠ることもできなかったそうだ。そもそも最初に署名したことを後悔していたかもしれない。

翌朝夜明けと共に王はライオンの穴に向った。そこで王が目にしたのは奇跡とも言える光景だった。なんとダニエルはライオンの餌食にはならずに生きていたのだ。彼はその理由をこう説明した。「私の神は御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の害も加えませんでした。それは私に罪のないことが神の前に認められたからです。王よ。私はあなたにも、何も悪いことをしていません。」(同22節)

ダニエルの言葉を聞いて、王は新しい触れを出した。「私の支配する国においてはどこででも、ダニエルの神の前に震え、おののけ。この方こそ生ける神。永遠に堅く立つ方。その国は滅びることなく、その主権はいつまでも続く。」(同26節)

ダニエルはライオンの穴に放り込まれることを十分に知っていた、つまり命を落とすことになるかもしれないことを覚悟のうえで、それでも神を選んだのだ。それでどうなったかというと、神は猛獣から彼を守るという奇跡を起こし、その結果、異国の地において、神の名が崇められるようにさえなったのだ。その一方で神の名を貶めることは、残念なことであるが、誰もがしてしまう過ちかもしれない。神を信じていると口で言いつつも、神のことばに従っているかどうか……知らずに罪を犯していることがあるだろうし、悪いと思いつつもやってしまうこともあるかもしれない。神の名を高めるためには、まさしくダニエルがそうしたように、困難が伴うかもしれないが正しい道を選ぶ必要があるのだろう。