知恵者さえも誘惑される

どうやら昔から男は女に弱いようである。弱いと言っても、尻に敷かれているとか、頭が上がらないとか、必ずしも力関係においての意味ではなくて、男は女の色気に弱いということである。古今東西これは変わらぬ真実ではなかろうか。例えば旧約聖書にでてくるサムソンがその例である。彼は肉体的に力の強い人物であり、その力でもって常にイスラエルの敵であるペリシテ人を倒してきたわけだが、ある時愛人デリラにしきりにせがまれて、その力の秘密を明かしてしまったではないか。デリラはそれをペリシテ人たちに教え、サムソンはあえなく捕らえられ、殺されてしまった。また近年の例で言えば、上海の日本総領事館に勤務していた通信担当官がいわゆるハニートラップに引っかかってしまい、最終的には機密情報の漏洩を防ぐために、自殺をしてしまったというスパイ映画を思い起こさせる事件もあったではないか。

そればかりではない。あの信仰深いダビデでさえも女が原因で罪を犯したではないか。こともあろうか、彼は部下の妻に惚れてしまい、彼女の夫が命を落とすことを期待して、意図的に激戦地に派遣したではないか。彼は目的を達成することができたのだが、後々までも彼は自らの過ちを悔やむことになった。そしてあの知恵者として知られていたソロモンでさえも女の色気には抗えなかった。彼は多くの妻や側室を宮殿に抱えていたが、その中には異国出身者や異教徒も多くいたという。そして彼はそのような女たちの言うことに耳を貸し、彼女達の礼拝していた異教の神々のための神殿を建てたりと、神の御心にかなわぬことをしたのだ。その結果として、彼の死んだ後にイスラエルは南北二つの王国に分断されてしまい、それがやがてはイスラエルという国の崩壊につながったのだ。彼は自らの行いを反省して言っているではないか。「他国の女のくちびるは蜂の巣の蜜をしたたらせ、その口は油よりもなめらかだ。しかし、その終わりは苦よもぎのように苦く、もろ刃の剣のように鋭い。」(箴言5章3~4節)

どのような側面から見ても私よりも優れているはずの、ダビデやソロモンでさえ、そのような誘惑に負けてしまったのであるから、私のような者は簡単に道を誤ってしまいそうだと容易に想像できてしまう。さて幸か不幸か、私には家族以外の女性との接点がないので、女の色気に悩まされるような機会に恵まれていない。ちょっとばかり残念な……いや、そうじゃなくて、守られていることを感謝すべきであろう。それにしてもなぜ男は女に弱いのだろうか。理屈の通る説明をすることはできないが、男と言うのは欲望と煩悩に足の生えたような存在なのかもしれない。

しかしながら女が男の色気に誘惑されるという話は、実際あまり聞いたことが無い。もちろんこれは女性が誘惑されないとか、欲がないとか、そういうことにはならないであろう。ただその対象が違うだけだろうと思う。もっともそれが何であるかは、私の知りうるところではないわけだが。

とかく人間というのは男女問わず、自らの欲望や欲求を満たすことのできるものに心を奪われ易いのだろう。ひとたび甘い誘いに載せられてしまうと、それが良い結果をもたらすものであるか、悪い結果をもたらすものであるかを、考えなくなってしまうのかもしれない。人の判断を鈍らせる欲望を断ち切ることさえできれば、このような問題は一発で解決してしまうのだろうが、そうそう簡単なことではないだろうだろう。それができるのであれば、誰も誘惑に負けることはあるまい。それができないから、人は苦しむのではないか。

誘惑に勝つことができないのならば、正しいものに「誘惑」されればよいのではないだろうか。正しいことに満たされて、喜びを得ることを知ればよいのではないか。ソロモンはこう言っている。「あなたの泉を祝福されたものとし、あなたの若い時の妻と喜び楽しめ。愛らしい雌鹿、いとしいかもしかよ。その乳房がいつもあなたを酔わせ、いつも彼女の愛に夢中になれ。」(同18~19節)

ところで教会はキリストの花嫁であると言われているように、キリストと信仰者との関係は、結婚に例えることができよう。キリストが私たちを愛されたように、私たちもキリストから離れることなく、キリストのことばに耳を傾け、キリストに心と思いを向けるのであれば、私たちは様々な誘惑から守られるのかもしれない。