あとがき

箴言を通して知恵者であるソロモンの言葉を追ってだいぶ経ったと思う。箴言は全部で31章あるので、今回の分と次回の分を合わせると箴言をざっとではあるが、最初から最後まで見てきたことになる。少なくとも私は全部読めたので私にとっては良かっただろう。では今回も続いてソロモンが何を言っているかを見てみよう……とはならない。実は前回見た29章がソロモンが書いた最後の箇所なのである。ソロモンの言葉を期待していた人には何とも申し訳ない。しかしソロモンが書いていなくとも、箴言にはまだ二章ほど残されているのだから、続きを見ていこうと思う。

ではソロモンが書いていないとすれば、果たして一体全体どこの誰が箴言の30章を書いたのだろうか。箴言30章は、このように始まっている。「マサの人ヤケの子アグルのことば。イティエルに告げ、イティエルとウカルに告げたことば。」聞いたことのない名前ばかりだ。ましてやこの章に書かれている言葉の主として名前の挙がっているアグルとは、聖書の他の箇所には一切登場しない。唯一箴言のこの箇所だけに名前を残すにとどまっている。だから彼が何者であるか詳しいことは分からない。一説には、ソロモンが別の名前を使って書いているとも言われているが、それにしては今までと雰囲気が全く違い過ぎるようでもある。であるとすれば、やはりアグルという人物がいたのかもしれない。

彼が何者であるかについてはどこにも何とも書かれていないので、想像の範囲を出ることはないだろう。ところでアグルには「収集家」という意味があるそうだ。そう考えてみると、もしかしたら彼はソロモンの身近な人間の一人で、王の語る言葉をまめに記録していた者なのかもしれない。そのような彼がどうして箴言に言葉を残すことになったのだろうか。もしかしたら彼はソロモンが箴言を著述するのを手伝っていたのかもしれない。そして巻末にアグル自身の言葉を書くことが許されたのかもしれない。今で言うならば、本のあとがきみたいなものであろうか。本当のところは明かされていないが、私個人としてはそう考えたい。

それではソロモンの書いた箴言の最後に名前を残すアグルとはどのような人物であったのか。ソロモンと名前を並べることになるとは、さぞかし彼自身も知恵のある者であったのかもしれない……が、残念ながらそうではなかったらしい。彼は自身のことをこう書いている。「確かに、私は人間の中でも最も愚かで、私には人間の悟りがない。私はまだ知恵も学ばず、聖なる方の知識も知らない。」(箴言30章2〜3節)

なんと知恵があるどころかまったくその反対で、彼は自らに知恵がないこと、また十分に学んでいないことを告白している。何か根拠があるわけでもなく私の感想であるが、わざと自分を貶めるようなことを書いているような雰囲気でもなく、どうやら彼の正直な反省のようだ。それにしてもこれほどまでに自分の知恵の足りないことを告白することができるとは、なかなかできることではない。確かに私も自分の愚かさや、知恵や知識の欠如を認めることはあるが、その言葉の裏には常に「そうは言っても……」という言い訳とも自己弁護ともつかない思いのあるのが事実である。

また彼は聖なる方、すなわち神のこともよく知らないとも言っており、それをこう表現している。「だれが天に上り、また降りて来ただろうか。だれが風をたなごころに集めただろうか。だれが水を衣のうちに包んだだろうか。だれが地のすべての限界を堅く定めただろうか。その名は何か、その子の名は何か。あなたは確かに知っている。」(同4節)

「あなたは確かに知っている」これはアグルがイティエルとウカルに向けた言葉であろうが、どういうわけだか、私に言われているような気がしてならないのだ。神が何者であるか、神の子が誰であるかと聞かれたら、私は答えることができるだろう。その点だけに絞れば、私は彼よりも賢いかもしれない。

しかし私から見れば、アグルは言うほどに愚かで、知恵がない人物には思えないのだ。もしかしたら彼には色々と知らないことがあったのかもしれないが、彼は人にとって最も意味のあることを知っていたではないか。今も昔も、世には多くを知っていながら、肝心なことに目を向けず、耳を傾けない人々が多くいたのではないか。だがアグルには一つ確かなことがあった。それは彼のこの言葉に表されている。「神のことばは、すべて純粋。神は拠り頼む者の盾。」(同5節)