迷うことなく

クリスチャンでなくとも、教会に行ったことがなくとも、誰でもイエス・キリストに弟子がいたというくらいは一般的な知識として知っているだろう。おそらくレオナルド・ダ・ヴィンチの有名な絵画である「最後の晩餐」で見たことがあるからかもしれないし、でなければ映画や物語で見たり読んだり、人が話すのを聞いたりしたことがあるからかもしれない。

さてキリストの弟子たちであるが、どのようにしてキリストに従うことになったのだろうか。まさかキリストがこのような求人広告を載せていたとは思えない。「★急募!弟子★募集人数12人、勤務地イスラエルおよび周辺地域、交通費支給、給与応相談★仕事内容は救い主のお手伝い中心のお仕事です。」いや、それとも彼らはキリストの幼なじみや親しい友人たちだったのだろうか。しかし考えてもみればキリストは子供の頃から「救い主」として活動していたわけでもなく、彼はただの大工ヨセフの倅でしかなかっただろうし、だとすれば友人たちも彼をそのようにしか見ていなかっただろう。大工を志すならまだしも、そうでないなら彼に付いていこうなどとは思うまい。それともキリストが洗礼を受けた時に不思議な光景を目撃して、彼がただの人間ではないことに気付き、彼に弟子入りをしたのだろうか。なるほど、これならばさもありそうな話ではある。だが、そうとも聖書には書かれていない。

実際にどうだったかというと、聖書にはこのように記録されている。「ガリラヤ湖のほとりを通られると、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。イエスは彼らに言われた。『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。』」(マルコの福音1章16〜17節)「また少し行かれると、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネをご覧になった。彼らも舟の中で網を繕っていた。すぐに、イエスがお呼びになった。」(同19〜20節)

キリストは自ら弟子となる人に声を掛けて、付いてくるようにと誘ったのだ。つまりキリストご自身が誰が弟子になるべきかを選んだと言えるだろう。人が自己推薦して「私こそがあのお方の弟子となるにふさわしい」と言ったわけではなかった。ではキリストはどのような人物を選ばれたのだろうか。多くの人々に影響を与えんがために、財力を持った人物であろうか、それとも知識豊かな人物だろうか、それとも政治的な地位と力を持った人物だろうか、それとも宗教的に厳格な人物だったろうか。たしかにそのような人々を選んだのであれば、キリストはあっという間に多くの人々にその名を知られることになったであろう。しかし彼はそのような高名な人々を指名しなかった。彼が最初に弟子に選んだのは、漁師であった。もちろん漁師というのは、人々の生活にとって欠かすことのできない職業であったろうが、彼らに影響力があるかといえば、まずなかっただろう。ではなぜキリストは彼らを選ばれたのか。彼らの立場が地味であったからか。しかし地味な職種といえば農家や羊飼いや大工など、他にもたくさんあったであろう。それとも「人間をとる漁師」というたとえを使いたかっただけだろうか。いや、さすがに神の子ともあろうお方がそのような安直な理由で弟子を選ぶとは思わない。おそらく職業や世俗的な立場や地位というものは関係なかったのではないかと私は思うのだ。

ところでキリストに呼び掛けられた彼らはどうしただろうか。聖書にはこのように書かれている。「すると、すぐに、彼らは網を捨て置いて従った。」(同18節)「すると彼らは父ゼベダイを雇い人たちといっしょに舟に残して、イエスについて行った。」(同20節)

つまり彼らはすぐにキリストに従ったのである。「ちょっと漁の道具を片付けてくる」とか「家族に話しておく」とか、そのようなことはしなかったのである。彼らは手元にあったものを、その場において、そのままキリストに付いていったのだ。

キリストが彼らを選んだ理由は、おそらく彼らのそのような従順さを見込んだからであろう。この時にはまだ明らかになっていなかったが、キリストに従うことは迫害などの苦難を伴うことになるのだ。そのような状況におかれても、ためらうことなく従うことのできる者たちを選ばれたと考えられよう。すなわちキリストの弟子となるための資質は、キリストに呼ばれたときに迷うことなく従う意思なのだろう。