強盗の巣、祈りの家

先日ニュースで話題になったが、就職・転職サイトやフリーペーパーで有名なリクルートが上場することになったそうだ。上場時の時価総額は一兆円を超える規模になるとの話もあり、嘘かホントか、はたまたタダの噂か真相はよく分からぬが、自社株を持っている社員は莫大な財産を手にすることになるという。もっとも手持ちの株を売ればという話であろうが。かく言う私も自社株を持っているのだが、年に一度配当金として二千円が払われるくらいである。もらえるだけ感謝なのだろうが。

それはそうと、今まで知らなかったし、気にしたこともなかったのだが、リクルートがそうであったように、企業の規模が大きいからと言って、必ずしも株式公開をしているわけでもないということだ。たとえば誰でも知っているところで、ウィスキーで知られているサントリー、六本木ヒルズを設計し管理運営を行っている森ビル、ファスナーの金具で誰もが世話になっているYKK、発行部数国内第二位の朝日新聞、これからの時期に食べたくなる「雪見だいふく」のロッテ、等が非上場だそうだ。あまりにも有名すぎて上場していて当然だろうと考えていたが、実は違ったのだから正直びっくりである。今回上場することに決定したリクルートにしても、非上場の立場を維持する企業にしても、それなりの理由があるのだろう。不幸にして、この辺の機敏さを私はまったく持ち合わせていない。そのような才覚があれば、おそらく今のように財布の中の千円札の残り枚数と、給料日までの残り日数を数えて、いかに出費を抑えるかと頭を抱えることもないだろう。

どうやら世の中には、知恵を巡して利益を追求する人々もいれば、反対に私のようにどうしたらお金を使わずに済むかと知恵を絞る人々もいる。善し悪しの問題ではない。人にはその人に相応しい経済活動というのがあるのかもしれない。良い話ばかりに耳を傾けて、ろくに知識も無いのに投資に金をつぎ込んで、元本割れしてスッテンテンになってしまうというのも、ありがちな話である。才能も経験も知識も無いのに、慣れないことをすると痛い目に遭うのは仕方の無いことだから、才覚のある人を憎んだりするのはお門違いというものだ。ところで、お金儲けというとネガティブな印象を与えてしまいそうであるが、分かる人が目的をもって行うのであれば、必ずしも悪いとは言えないだろう。悪いのは、金銭欲に取り憑かれることではないか。

それはそうと、いつの時代にも金に執着する人々はいるようで、イエスの時代も例外ではなかった。聖書にはこのような事件が記録されている。「それから、彼らはエルサレムに着いた。イエスは宮にはいり、宮の中で売り買いしている人々を追い出し始め、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒し、また宮を通り抜けて器具を運ぶことをだれにもお許しにならなかった。そして、彼らに教えて言われた。『〝わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。〟と書いてあるではありませんか。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしたのです。』」(マルコの福音11章15~17節)

神殿の中で商売をしていた人々が、イエスの逆鱗に触れたのだ。さて、商売をしていた人々にも一分の理はあったかもしれない。それというのも、彼らは神殿にまったく関係のないものを売っていたわけではなかった。神殿でいけにえとして捧げるための動物を売っていたのだから、完全に利益だけを求めていたのではないと、彼らはイエスに言い訳をしたかもしれない。だがイエスは容赦なく彼らを追い出したのだった。しかも、普段の彼に似つかわしくないような、ともすれば乱暴な方法でだ。

なぜイエスはそれほどまでに腹を立てたのだろうか。イエスの言われたことから分かるのは、神殿とは「すべての民の祈りの家」(イザヤ書56章7節)となるべき場所だということだ。それまでのように、ユダヤ人たちがいけにえをささげるための場所とは考えていなかったのだろう。つまり、誰であっても自由にやってきて、思っていることや考えていることを、祈りを通して神にささげることができるという、そのような場所としての神殿を考えていたのだろう。だが現実には、形だけを残しているが、中身が空っぽの儀式的な場所となり果てていたのだ。それどころか、それを商機と見ていた者まで集まっていたのだから、これではイエスが怒るのも分かるような気がする。

果たして、イエスから見て人の心とはどのような場所なのだろうか。そこは神を中心にした祈りの場所となっているだろうか。それとも形だけを残して、実際は自らの欲求を追うだけの盗っ人の住処なのだろうか。イエスが何を求めているのかは、言うまでもないだろう。