神に認められる

人は他人からどのように見られているのかを気にする生き物である。良くも悪くも、人からどのように評価されているのか、気になってしまうのである。人から高く評価をされたら、嬉しくなるだろうし、反対に低く評価されてしまったら、きっと残念に思うだろう。もっとも人の目を気にせずに過ごすことが一番望ましいのだろうが、それをできるほど自分自身に自信を持っている人は、むしろ少ないのではないだろうか。人からどう見られているかと、気になってしまうのはどうしようもないだろうが、それに捕らわれてばかりでいるわけにもいくまい。人から褒められたら、褒められたところを生かしたり、さらに伸ばしたりと、自分への評価を一層高められるように努力をすればよいだろう。また人から認められないのであれば、その理由について思い当たることがあるか考えてみればよいだろうし、改めるべきところは改めればよいだろう。ただそれだけのことである。

さてついでに言うと、思い入れのあることほど、人からどう思われているかが気になってしまうのではないだろうか。例えば、私の場合はこうである。覚えている人は覚えているかもしれないが、しばらく前、五月の暮れのことだが、私は留学時代の経験と信仰を持つに至った経緯を、電子書籍という形にまとめてみた。表紙の絵柄なども考えて、それなりに時間と手間を掛けたわけで、素人が初めて挑戦したわりには、納得のいくものができたのだが……いかんせん、これがまったく売れない。もとより代金を取るつもりはなかったのだが、無料配布ができない仕組みなので、ペットボトル一本分と同じくらいの値段にしたのだ。だが、それでも売れない。つまりは、さほど評価されていないということなのである。もちろん、その理由はいくつか考えることはできるのだが、はっきり言ってがっかりである。他にも書こうかと考えてもいたが、その思いも失せてしまった。

ところで、それよりさらに遡って、まだ寒い時分のことである。ふとしたきっかけから、コピーライター養成講座の無料体験講座を受ける機会があった。もちろんコピーライティングに興味があったからでもあるし、こうしてものを書くうえで役に立つ情報を得られるかもしれないと考えたからでもある。ともあれ無料で得られる限りを得ようというのだから、私も必死である。さて講座の中で、実際にコピーを書いて、上位十作品選ぶということになったのだが、まぁ、仕事でもあそこまで真剣になるということはないだろうというくらい真面目にやってみた。集まった人数は百数十名ほど。もちろん、ちょっと気になるからという軽いノリで受けた人もいただろうが、多数は私のように、それなりの理由があって集まっていたことだろう。金は掛からないと言っても、なんせ時間は掛かるわけだから。で、結果だが、意外にも私のコピーが上位十作のひとつに選ばれたのである。普段はうだつの上がらぬ会社員でしかないが、この時だけはさすがに鼻が高かった。

人からどう思われるかも気になるだろうが、もっと気になる、というか気にすべきことは、私たちの行為を神がどう思われるかであろう。神が私たちの行いを良しとするか、そうではないかということだ。

神が天地を創造された頃の話になるが、カインとアベルという兄弟がいたと旧約聖書に書かれている。兄カインは農耕者となり、弟アベルは牧羊者になったそうな。(創世記4章2節)そして二人は神に捧げ物をしたのだが、その時のことが聖書にはこう書かれいる。「カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来た。また、アベルは彼の羊の初子の中から、それも最良のものを、それも自分自身で、持って来た。主は、アベルとそのささげ物とに目を留められた。だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。」(同3~5節)

神は兄ではなく、弟を高く評価したのだった。聖書にはそこまで書かれていないが、おそらくアベルはたいそう喜んだであろう。しかしカインは納得いかなかった。「カインはひどく怒り、顔を伏せた。」(同5節)もしカインが冷静になって、何が悪かったのかを考えて反省し、なぜ弟が評価されたかを学び、態度を改めたのであれば、歴史は大きく変わっていたかもしれない。だが、実際はそうではなかった。彼は怒りに身を任せてしまい、とうとう弟を殺してしまったのだ。(同8節)カインの神に対する信仰が十分ではなかったからだと、よく言われているようだし、それも一理あるかもしれないが、必ずしもそういうわけでもないのではと、私は思う。もし神に対する思いがなければ、果たしてここまで怒るだろうか。もしかしたら神を思う気持ちは、彼もアベルも変わりがなかったかもしれない。ただ彼はそのやり方が間違っていただけなのではないか。

信仰を持っていることと、信仰に生きるということは似ているようであるが、神からしてみれば、まったく違うことなのかもしれない。であるとすれば、救いは等しく与えられているが、神の評価には違いがあるというになるのだろうか。