神の宮は父の家

まぁ、何の自慢にもならないし、褒められたものじゃないが、私は物覚えが悪い。学生の頃も、暗記問題は苦手だった。電話番号や住所のように短いものかつ日常生活を営む上で必要なものを、ちょっとの間覚えておく程度であれば大丈夫だが、そうでないものを長期間記憶に留めておくのは苦手である。それこそキリスト者であれば聖書の箇所をいくつか覚えて、そらで言えるくらいが普通なのかもしれないが、それさえも私はダメだ。正直に言えば、もう今ではすっかり覚えることを諦めてしまっている。それでも若い頃はいくつか覚えていたし、主の祈りはもちろんのこと使徒信条だってちゃんと暗記していたのだが、どこにしまい込んでしまったのか記憶の引き出しから見つけ出すことができない。残念ながら無くしてしまったのか、それともただ探せないだけなのか。いずれにせよ見つけられないのだ。

さて、そうは言うものの、まがりなりにも20年以上信仰を持ち続けていただけあって、細かいことは覚えていないにしても、だいたいどのようなことがどこらへんに書かれているかくらいは覚えている。そんな具合だから、とても人に教えられるようなものではないし、知識人と論じ合うなんてどだい無理なことである。今さらかもしれないが、信仰を持つようになってから今日に至るまで、毎日欠かすこと無く聖書を読み続けて、朝に夕に主の祈りを祈り、使徒信条を口にしていたのであれば、もしかしたら聖書のことばを人にちょっとくらいは教えることができるようになっていたかもしれない……が、元々がそのような立派なことができるような人間ではないからしかたがないのだけれども。

それはさておき、ルカの福音にはイエス・キリストの少年時代のことが少しだけ書かれている。「幼子は成長し、強くなり、知恵に満ちて行った。神の恵みがその上にあった。」(ルカの福音2章40節)詳しいことは分からない。確かなことは、神の恵みによって、少年イエスは肉体的な面においても、知性的な面においても、精神的な面においても順調に成長していたということである。周囲の人々から見て神童だったかどうかは分からないが、神のひとり子として育っていたことは間違いないだろう。

さらにこのようなことが書かれている。「イエスの両親は、過越の祭りには毎年エルサレムに行った。イエスが十二歳になられたときも、両親は祭りの慣習に従って都へ上り、祭りの期間を過ごしてから、帰路についたが、少年イエスはエルサレムにとどまっておられた。両親はそれに気づかなかった。」(同41~43節)我が子のことを忘れてしまうとは、ヨセフとマリヤのなんたる不注意、今の時代であればネグレクトとして周囲から非難されてしまうかもしれない。しかし考えてもみればイエスはすでに十二歳である。幼子ではないから、ひとりで行動することも多かっただろう。それにエルサレムまでの旅は私たちの考えるような家族旅行ではなく、キャラバンを組んで集団で移動していたことだろうから、おそらく両親はイエスが友達と一緒にいると考えたとしても不思議ではない。ようやく一日経ってから、イエスがいないことに気付いて、どこかにいないものかと探しながら再びエルサレムへと戻ってきたのだった。

そして三日後、ようやく両親は彼を見つけたのだが、彼らが見出したのは、途方に暮れて困っている我が子の姿ではなかった。「イエスが宮で教師たちの真中にすわって、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いていた人々はみな、イエスの知恵と答えに驚いていた。」(同46~47節)大人、それも律法学者や祭司と一緒に話しをしていたのである。話を聞いていただけなら、勉強熱心な少年と思われただろうが、イエスの話を聞いた人々は彼の知恵に驚かされた書いてあるところを見ると、おそらく彼自身も何かを語っていたのだろう。

だが母親にとっては彼がどれほど知恵のことばを語ろうが、ただの子供でしかない。「母は言った。『まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい。父上も私も、心配してあなたを捜し回っていたのです。』」(同48節)

「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」(同49節)マリヤもヨセフも、このときはまだイエスの言っていることが理解できなかったそうだ。だが神のひとり子として、イエスが神の宮にいることは、なんら不思議なことではないだろう。思えば、この二人は知らずのうちに神を求めていたとも言えよう。そして二人は確かに神を見つけることができたのだ。求めさえすれば、人は必ず神を見つけることができるのである。