内から支える者

さて、イエス・キリストが洗礼を受けた時にどのようなことが起こったのかは、前回見たとおりである。そこに書かれていたことを改めて振り返っていて、ふと考えたことがある。聖霊が鳩のような形をしてキリストの上に下ってきたと聖書には書かれているのだが、その後聖霊はどうなってしまったのだろうか、ということだ。ルカはそのことについては何とも書き残していないので、これは想像するしかないだろう。

まず考えられるのは、鳩のようにそのまま天に飛び去ってしまったということ。もちろん可能性としてはないこともないのだろうが、どうもそのような場面は想像し難い。何より神の子であるキリストに降りてきた神の霊がそのまま去ってしまうというのは、あまり理にかなったことではないだろう。それに目に見える現象が起きたのであれば、同様に記録されていてもよいではないか。では、そのままキリストの上に留まっていたのだろうか。まぁ、神の霊が神の子と共にいる、という発想であれば、それもありかもしれない。だが、海賊がオウムを肩に乗せていたように、鳩を肩に乗せたイエス・キリストの姿というのは、どうもイメージしにくい。だいたい聖書のどこを読んでも、そのようなことは書いていない。であるとすれば、これは私の考えでしかないから、正解ではないかもしれないが、鳩の形をした神の霊は、霧が晴れるように、そのまま消えてしまったのではないだろうか。霊とはもともと形のない存在であるから、一時的に目に見える鳩の形をとったとしても、それがいつまでも続けているわけでもないだろう。

もちろん、神の霊が完全に消えてしまったというわけでもあるまい。形が見えなくなっただけだろう。では、どこへ行ってしまったのだろうか。ルカはこのように書き残している。「さて、聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。」(ルカの福音4章1節)聖霊は雲散霧消したのではなく、そのままキリストのもとに留まられたのだ。それも単に近くにいたというのではなく、キリストを満たしたというくらいだから、彼の内に留まられたのであろう。一心同体というか、もしかしたらそれ以上の親密さかもしれない。

では、神の霊の助けを得て、すべてがキリストにとって順調に事が運ぶようになったかというと、そういうわけでもなかった。少なくとも人間的な考えをすれば、そう思えてならない。俗的な視点からすれば、衣食住が存分に満たされ、何の心配もなく、様々な煩わしさから解放されて、安穏に過ごすことが最高だと思うことだろう。私などはどうしたらそれを手に入れることができるのだろうかと、まぁ、そんな欲深いことを考えてばかりである。

ではキリストはどうなったのかと言えば、先ほどの箇所の続きにはこう書かれている。「そして御霊に導かれて荒野におり、四十日間、悪魔の試みに会われた。」(同1~2節)御霊は彼を荒野に連れ出したという。それだけでも、あまり嬉しいことではないだろうに、そこでさらに悪魔に試されたというのだから、ひとことで言ってしまえば「不運」と嘆きたくなってしまうことだろう。意思が弱ければ、己が身を哀れみ、挫折してしまうかもしれない。もちろん、そのようにして人々を神から遠ざけようというのが、悪魔の目論んでいることなのだから、「やめてくれ」と頼んだところで聞き入れられわけがない。

だがキリストはひたすら堪え忍んだのである。悪魔の試みがどのようなものであったのかは、ここには書かれていないので何とも言い難い。ましてや、私には想像すらできない。しかしそのときのことで、たったひとつだけ書かれていることがある。「その間何も食べず、その時が終わると、空腹を覚えられた。」(同2節)

悪魔がどのような試練をキリストに与えたのかは分からないが、少なくともキリストは食べ物を口にすることがなかったのだ。考えようによっては、食べ物を取り上げるということが、悪魔の試みだったのかもしれない。だが、そうではなかったのかもしれない。「その時が終わると、空腹を覚えられた」とある。つまり、それまでは腹が減ったと感じなかったのだ。考えようによっては、食事をする余裕もないほどの試みにあったのかもしれないが、この箇所を読む限りでは、それほど悲惨な試みにあったような印象もない。

これは私の考えであるが、もしかしたらキリストは自らの意思で食事を断っていたのではないだろうか。彼は食べ物を求める時間を惜しみ、そのための時間を神を求めるために費やしたのかもしれない。食事をすることで肉体的な力を付けるよりも、神に祈ることで霊的、精神的な力を得ようとしたのかもしれない。悪魔の試みからキリストを守り、四十日の間彼を支えたのは、他ならぬ神御自身であったろう。神がひとり子であるキリストを見捨てなかったのは当然のことだが、キリストもまた父なる神から目を離さなかったのである。そしてどのような時でも、キリストを内側から支えたのは、彼を満たしていた神の霊だったのだろう。