ナザレのイエス

悪魔に誘惑された後、イエスがどうされたか、ルカがどのように記録しているかを続けて見ていこうと思う。それにしても、ルカの福音を最初から見てきたわけだが、いつの間にやら、すっかりイエスが主役になってしまったようで、福音書はイエスの自叙伝であるのかと勘違いをしてしまいそうになるが、そうではない。さて、何も今気付いたというわけでもないが、イエスご自身は何ひとつとして聖書に自著を残していない。大工の息子として育てられたとはいえ、仕事柄図面を引くこともあったかもしれないし、そう考えてみると、まさか読み書きができなかったわけでもないだろう。だけれども、考えてもみれば、せめて何か短くても良いから、手紙のひとつやふたつくらい残しても良かったのではないだろうか。それともよほどの筆無精だったのだろうか……とにかくイエスの手による書というのは聖書のどこにも見当たらない。新約聖書について言えば、誰かがイエスについて書き記したものが福音書として残されており、後は弟子たちが書いた手紙などが残されているだけである。もっとも「聖書は神の霊感によって書かれた」と言ってしまえば、それまでなのかもしれないが。それにしても考えれば考えるほど、なぜだろうか、と思えてくるのだ。いつか本人にそのわけを聞いてみたいものである。

それはさておき、ルカはイエスのその後をこう記している。「イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。すると、その評判が回り一帯に、くまなく広まった。イエスは、彼らの会堂で教え、みなの人にあがめられた。」(ルカの福音4章14~15節)

まさしく今まで無名の人だったイエス・キリストは、ガリラヤ一帯にその名を知られるようになったのである。それもただ有名になっただけではない。人々から尊ばれるようになったのである。その理由についてルカは詳しく書き残していないが、この箇所から察するに、「御霊の力を帯びて」いたことと「会堂で教え」たことにあるのではないだろうか。おそらく他の教師たちとは違う何か、例えば権威や知恵の深さのようなものを人々はイエスが教えることを聞いて感じたのかもしれない。他の人が教えていたようなことを同じように教えたところで、群衆からは尊敬されないだろう。

さらにガリラヤ以後のことがこう書かれている。「それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き……」(同16節)イエスは故郷に戻った。なぜ戻ったのかは分からないが、若い頃からの友人知人たち、幼い頃世話になった人たちを懐かしく思ったのかもしれないし、もしかしたら人には想像もつかぬようなもっと重要な理由があったのかもしれない。ともあれイエスは「……いつものとおり安息日に会堂にはいり、朗読しようとして立たれた。すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。『わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。』」(同16~19節)さて、イエスは旧約聖書のイザヤ書から読んだということだが、正確に言うのならば、イザヤ書61章1~2節がまさしくイエスが読んだ箇所になる。そして、イエスは人々にこう言ったそうだ。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」(同21節)

イザヤの預言が今まさに成就した、とイエスは言っているのである。すなわち、これは預言者イザヤのことばを借りて、イエス・キリスト本人が何者であるか、また彼の目的や役目が何であるかを明らかにしているのだ。

神の霊が共におられる、つまり御霊からの尽きることのない助けがイエスと共にあるということであろう。そして福音を伝えるという目的のために油を注がれた、すなわち神によって選ばれたということでもある。そして福音を伝えるということは、捕われている人々を自由にし、目が見えない人々に光を取り戻し、苦しみにあっている人々を解放することであり、神が人々に恵みを与える、言うなれば神の側から人々に対して手を差し伸べる時代の訪れを知らせるということであろう。

イエスが語るのを聞いて、自分は自由だ、自分は目が見える、だから自分には問題がない、そう思う人々もいたかもしれない。しかし実際には、律法や伝統や習慣、自らの悪習慣や罪悪感など、有形無形様々なものに縛られていたのではないだろうか。また世間のしがらみなどの周りのことや、自らの悩みや欲望などの自らの内側から出てくる思いに視界が曇っている人々もいたかもしれない。イエスはそのような捕われ人を助けるために来られたのだ。だが、イエスのことばを聞いて、どれほどの人がそれに気付いただろうか。

その時から、二千年。ナザレのイエスが何者であるかは、今でも変わらない。