大工の子

暖かくなってきて、桜が咲いた。桜が咲いて、ようやく春らしくなったと思いきや、雨が降ったり寒くなったりで、気付いた頃には桜も散ってしまった。今年も花見ができなかったと、ちょっと残念に思うのだが、それはさておき、前回ルカの福音を見てからしばらく時間が空いてしまったようだ。

さて、故郷に錦を飾るということわざがあるが、イエスが故郷であるナザレに帰ってきたのも似たようなものであったろうか。イエスの評判がそれなりであったことは、ルカが記録した通りである。またイエスが会堂で話すのを聞いて、「みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた」(ルカの福音4章22節)ともあるから、ナザレの人々からも注目されていたのだろう。

ところが、人の見方というのは様々なものである。ナザレの人々は確かにイエスをほめただろうし、彼のことばに驚いたであろう。だが、それはガリラヤの人々のそれとは違っていたようである。ガリラヤの人々は彼を讃えたとルカは17節で書いている。日本語で書いてしまうと、「褒める」も「讃える」も、さほど違いがないように思えるが、参考までに英語でどのように書かれているかを見てみよう。ナザレの人々は”spoke well of him”、つまりイエスのことをよく言う、裏を返せば悪く言わなかったという程度の褒め具合でしかなかったと考えることもできよう。どちらかと言えば、消極的な褒め方である。一方で、ガリラヤの人々は”praised him”、すなわちイエスを賛美したという。そこには尊敬と敬愛の思いが込められており、積極的な褒め方であったと言えよう。イエスの故郷の人々の見方と、そうではない人々の見方には、明らかな違いがあったのだ。

では、その違いの理由はどこにあったのだろうか。イエスを神のひとり子として見ていたかどうか、救い主として信仰していたかどうか、ということであろうか。いや、イエスは自らが何者であるかも、何の目的でこの世界に来られたのかを、人々には詳しく伝えていなかったであろう。なんと言っても、ようやく悪魔の試みから解放されたばかりの頃である。であるとすれば、信仰を持っているとか、持っていないとかという以前の問題であろう。

ルカはナザレでのことをこう書いている。「そしてまた、『この人は、ヨセフの子ではないか。』と彼らは言った。」(同22節)当然ながら故郷の人々はイエスの家族も知っていたのだ。彼らにしてみれば、イエスは大工ヨセフの倅でしかなかったし、それ以上の存在とはなり得なかったのである。たとえイエスがどれほどすばらしい話をしようとも、イザヤ書を引用して自分が何者であるかを伝えようとも、彼らの耳には大工の息子が話しているとしか聞こえなかったのである。これは私の想像でしかないが、おそらく人々はこう考えていたのかもしれない。「大工の倅のくせして、ずいぶんと偉そうなことを話すじゃないか。」彼らにはイエスに対する尊敬ではなく皮肉があり、敬愛ではなく嫉みがあったのではないだろうか。イエスも冷え切った空気を感じたのだろう。彼らにこう言っている。「まことに、あなたがたに告げます。預言者はだれでも、自分の郷里では歓迎されません。」(同24節)さらに続けている。「エリヤはだれのところにも遣わされず、シドンのサレプタにいたやもめ女にだけ遣わされたのです。また、預言者エリシャのときに、イスラエルには、らい病人がたくさんいたが、そのうちのだれもきよめられないで、シリヤ人ナアマンだけがきよめられました。」(同26~27節)

つまり、イエスは困っている人々を助けることもできるし、病に苦しんでいる人々を癒やすこともできるが、必ずしもそれらのことを故郷ナザレでやるとは限らないと、それとなく言ったのである。これで彼らが反省し、態度を改めたのであれば話は変わってきたかもしれないが、実際にはそうではなかった。それどころか、腹を立てイエスを殺そうとまでしたのだ。「会堂にいた人たちはみな、ひどく怒り、立ち上がってイエスを町の外に追い出し、町が立っていた丘のがけのふちまで連れて行き、そこから投げ落とそうとした。」(同28~29節)ナザレの人々にとって不幸なことに、まさしくイエスが言ったとおりの結果になってしまったのだ。

イエスが何者であるか、その考えは十人十色だろう。だが、彼が何者であるかを自分自身の基準で判断することは、結果として彼を遠ざけることにもなりかねない。そして彼から距離を置くということは、彼が与えようとしているあらゆる善きものからも、自らを遠ざけることになるだろう。イエスが何者であるかを知りたいのであれば、それはイエス御自身が語ることばに見出すのが最善かつ最短な方法である。