錬金術

昨年の世相を表す漢字として選ばれたのは「金」であった。昨年はオリンピックが開催され、日本は金メダルを12個獲得し、史上4番目であった。さらに銀や銅も含めたメダルの総数でいえば41を獲得したということで、史上最多という結果を残した。四年後開催の東京オリンピック、明るい日本への願いを込めた漢字ということで選ばれたという。この字を見て、「キン」と読んだ人はおそらくそのような考えを持っていることだろう。ところで私はどうかといえば、「カネ」と読んでしまった。ちなみに「金」の字が選ばれた他の理由は、前東京都知事の政治資金問題、築地市場移転問題、さらには同じオリンピックの話題でも巨額経費問題が挙げられている。どうやら「金」という字から「マネー」を連想するのも、あながち間違いではないらしい。ちなみに私が「カネ」と読んでしまった理由は、別に社会的な問題がどうのこうのというのとは、まったく関係ない。純粋に私の財布の事情から、そのように読んだまでである。

そういえば、子供の頃、正月のメインイベントと言えば、お年玉をもらうということであったような。あの頃は、もらえるということだけを期待すれば良かっただけだから、今になって振り返って考えてみれば、実に気楽なものである。今はひと月働けば、お年玉でもらっていた金額の何倍ものお金が手に入るのだが、その一方で出て行くお金も同じく何倍にも増えていることもあってか、気楽とはほど遠い。それどころか、悩みの種でさえある。

とは言え、せっかくの一年の始まりなのだから、前向きに物事は考えたいものである。悩ましい「カネ」の問題を、明るい「キン」への期待に変えたいものである。そんなのは人の気の持ちようでどうにでもなるものだろうと口で言うのは簡単なことであろうが、気持ちや考え方をすぐに切り替えることができれば、そもそも悩んだりすることもないだろう。そんな錬金術のような都合の良い方法などなさそうなものである。というか、ないだろう。そんなもんがあったら、誰だって苦労はしないだろうに。

それはさておき、何やら新年にふさわしい話題はないであろうかと、考えていると、聖書にはこのように書かれていることが思い出された。

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ。―それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ書29章11節)

「主の御告げ」と明示されているように、すなわちストレートな神からのことばである。神がこう言っていた、と誰かが言ったのを聞いたことがる、というあいまいなものではない。神直々のことばであることを前提として読むべきところだろう。

神は人のために計画を立てておられるという。一般的にイメージされているような、白い衣を身にまとい、高い雲の上から人のなすことを見ている、ただの傍観者としての存在ではない。神は人のなすこと、それが良いことであっても、悪いことであっても、ただ見ているだけでない。エデンの園にアダムとエバを置いて、そのまま放置というわけではなかっただろう。また荒野でイスラエルの民を時に諌め、時に導いたように人の生活に関わることを望んでいるのである。関わるといっても、人の犯す悪事に罰で報いるというのではない。それよりも、アブラハムがイサクをいけにえに捧げようとしたときに、身代わりとなる雄羊を用意されたように、神は人のいのちを救うために人と関わろうと望んでおられるのである。

神ご自身が言うように、また聖書に記録されている様々なことが示しているように、神の御心のうちにある計画は、人にとって善となるものばかりである。それは、人々を悩ます諸々のものごとから彼らを解放し、彼らの先々の見通しを明るくするための計画であるという。それが具体的にどのようなものであるかは分からないが、神がそう言っているのであれば、疑う余地はないだろう。人はただそれを信じればよいだけなのである。

錬金術のように神秘的なものでも、不可解なものでもない。神が将来の希望を与えるための計画を一人ひとりのために持っている。ただそれだけのことなのである。言葉に表すと、何ら難しいことでもない。むしろ聞くものが耳を疑いそうなほどに簡単なことである。人があれこれ苦労する必要はないのである。これをしたらよい、あれをしたらよい、と色々なところで様々な人が言うだろう。もちろん、そのなかには有用なこともあるだろう。それに人がどうするかは、最終的にはその人自身が決めるところである。しかし、人の先々のことは、すべて神の立てられた計画の中にあるのである。

日々過ごしていれば、良い時もあれば悪い時もあるだろう。だが悪いからといって、そこで落ち込む必要はないのである。神は必ずや、いかなる問題や悩みがあろうとも、将来への希望と期待へと変えてくださるのだから。