不正の勧め

いつになったら咲くのだろうかと思っていると、知らないうちにあっという間に咲いてしまうのが桜の花ではないかと、最近よく思う。毎日の通勤電車から花をつけていない桜の木を見て、今年の開花予想はいつだったかとか、この桜はいつになったら花が咲くのかなどとその時は考えてみるのだけれど、時間が経つとともに、日々のあれやこれやに気を取られてしまい、しばらく気にかけていないと、ふと気が付いた時にはすでに満開になっていたりするのだ。それならまだしも、まだ咲いていないと思っていた桜の木が、次に見たときにもあまり花をつけていないと、なぜだろうかと改めて見れば、すでに散り始めていた……ということもある。

さて、これは私の個人的な感想であるが、桜の花というのは、よく晴れた日の青空と緑の下草を背景にしたら、よく見栄えがするものだと思う。これぞ待ち望まれた暖かい季節の到来、寒い季節との決別を象徴する景色のようである。ところが、時々雨が混じる曇り空の下、ビルの林立する街並みのなかでは、映えないどころかみすぼらしく見えてしまうのだ。私が色弱だからなおさらなのかもしれないが、日の当たらない色彩の乏しい場所にあると、桜の花が本来の桜色ではなく灰色に見えてしまうのである。茶色なのか黒色なのか分からない枝に灰色の花が咲いていたとしても、それはあまり魅力的なものではない。人によっては春らしい風景を見るのかもしれないが、私の目には鮮やかさを失った景色としか映らないのである。同じものを見ても、見る人によって、その印象というのは変わってくるものなのであろう。

考えてもみれば、聖書も同じようなものだろう。読む人がそこに書かれていることをどう捉えるかによって、その意味というものは異なってくるはずだ。いずれの考えが正しいのか、どちらが間違っているのか、それは書いた人にしか分からないだろう。もしそれがイエス・キリストの話されたことばであれば、その真意というのは、キリストご自身に尋ねるしかないだろう。とはいえ、そのようなことが誰にでも簡単にできるというわけではない。であるから、各々で考えなければならないことも多くあるだろう。

さてある時、イエスは弟子たちにこのように話された。「ある金持ちにひとりの管理人がいた。この管理人が主人の財産を乱費している、という訴えが出された。主人は、彼を呼んで言った。『……会計の報告を出しなさい。』管理人は心の中で言った。『主人にこの管理の仕事を取り上げられるが、さてどうしよう。……』」(ルカの福音書16章1~3節)

この管理人の心配は、仕事を失ったらどうしようかという自分自身のことだった。言い訳をしなかったところを見ると、おそらく本当に不正を働いていたのだろう。ばれてしまったのなら仕方がないと諦めていたのか、腹を括っていたのか。そんな彼であるから、今さら力仕事をすることなどできないし、無職になるわけにもいかない。おそらく今の世であればハローワークに行くことすら恥と感じただろう。それにしても、自らのやったことの割には、やけにプライドが高い人間である。だが、不正をするほどに利に聡いのだから、色々と知恵が働くようである。彼は債務者を訪ねては証文を出させて、例えばオリーブオイルを百樽借りていた者には五十樽に負債額を書き換えさせるなど、人々の負債を減らしていったのだった。

情けは人のためならずというように、おそらく彼は人々に恩を売ることで、いざ自分が困ったときに助けてもらおうと目論んでいたのだろう。それ以外に、あざとい彼が人の借金を減らす理由などなさそうである。それを知った主人はどうしたであろうか。「不正な管理人がこうも抜けめなくやったのをほめた。」(同8節)不正をしたうえに、さらなる不正を行ったことで彼を懲らしめるかと思いきや、意外にもその反対であった。とはいえ普通に考えれば、なぜこの男のしたことが褒められることなのか、どうにも理解しがたい。負債額を減らすということは、債務者にとってはありがたいことかもしれないが、彼の仕えていた債権者である金持ちにとっては、間違いなく不利な話であろう。

イエスはこのたとえについてこう言っている。「不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。」(同9~11節)

「不正の富で友を作る」とは、この管理者のしたことを示しているのだろう。だとすれば、そんなずる賢いことをしなければならないのだろうかと、そう疑ってしまう。だが、そのようなことを罪の悔い改めを教えているキリストが勧めるだろうか。不正の富とはこの世の富のことで、まことの富とは神の御国に蓄える富のことなのか……やはり難しい、分からない。確かなことは、あらゆることに忠実さを保つことなのだろう。