ろばを手放す

我が家の玄関扉が交換されたというのは、前回も言った通りである。さて、玄関扉が新しくなって変わったことはいくつかあるが、そのうちの一つは、錠が二つになったということであろう。最近の家では珍しくないのかもしれないが、錠が一つだけの扉に慣れてしまったせいか、どうも違和感を覚えてしまう。今どきの扉のように、取っ手の上と下にそれぞれ錠がある。外から見れば、鍵穴が二つだし、内側から見ればサムターンが二つである。外から開けたり閉めたりするときは意識しているためか、鍵を二度回さなければならないことを忘れないのだが、内側から開けるときは、なぜか忘れてしまいがちである。朝出掛けるときに、上のサムターンだけ回して取っ手に手を伸ばすのだが、一瞬何か忘れたような気がして、あわてて取っ手の下にあるサムターンを回すという感じである。どうもまだ、連続した動作になっていない。

とは言っても、錠前が二つあるからと言って、それぞれが異なる鍵を持っているわけではない。どちらも同じ鍵が合うようになっている。だったら、そもそもなんで二つもあるのだろうか、と考えてしまう。それぞれが異なる鍵なら二重の防犯対策といわれても分かるのだが、同じ鍵であれば片一方が破られたら、もうひとつも同じようにして破られてしまうではないかと。まぁ、二倍の時間は掛かるかもしれないけど。もしやそれが目的なのだろうか。だったら納得できるのだが。それはさておき、たいした財産はないし、盗まれるようなものなんて何もない我が家であるが、やはり見ず知らずの他人がやってきて、数少ない金目のものを勝手に持ち出されてしまっては困るので、防犯対策は十分にしておいた方が良いに違いない。

さて、我が家の玄関扉の話はこれくらいにして、ルカの福音書を読んでいこう。イエスと弟子たちはエルサレムへの旅を続けているところで、もうあと少しでエルサレムにたどり着くというときのことが、このように記されている。「オリーブという山のふもとのベテパゲとベタニヤに近づかれたとき、イエスはふたりの弟子を使いに出して、言われた。『向こうの村に行きなさい。そこにはいると、まだだれも乗ったことのない、ろばの子がつないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて連れて来なさい。』」(ルカの福音書19章29~30節)

なぜイエスはろばの子を望んだのか。もう歩くのがしんどくなってしまったのだろうか。せっかく目的地を目の前にして体力の限界に達したのか。いや、さすがにそれはないだろう。本当の理由は、旧約聖書に書かれている預言のことばを現実のものとするためにろばの子を必要としていたのだ。「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。」(ゼカリヤ書9章9節)

もちろん、イエスも弟子たちも、ろばを連れて旅をしてきたわけではないだろうから、エルサレムに入る前にどこかしらで調達する必要があった。そこでイエスはふたりの弟子にろばを連れてくるようにと言っている。「ほどいて」と言っているから、野生のものではなく飼い主がいるということになるだろう。イエスはこう指示している。「もし、『なぜ、ほどくのか。』と尋ねる人があったら、こう言いなさい。『主がお入用なのです。』」(ルカの福音書19章31節)

さて二人が出掛けてみると、「イエスが話されたとおりであった。」(同32節)イエスに言いつけられたように、「彼らがろばの子をほどいていると、その持ち主が、『なぜ、このろばの子をほどくのか。』と彼らに言った。弟子たちは、『主がお入用なのです。』と言った。」(同33~34節)

例えば、もし誰かが私の家にやってきて、勝手に車の鍵を持ち出して、そのまま車をどこかに持っていこうとしたら、どう思うだろう。真っ先に頭に浮かぶのは「泥棒!」であろう。私が焦りながら「ちょ、ちょ、ちょっと待て、何やってんだ?」と聞いて、その人が「主がお入用なのです」と答えたら、私はどうするだろう。「分かりました、ではどうぞ」と答えるだろうか、それとも「何をふざけたこと言ってんだ」と思うだろうか。私の反応は後者であるに違いない。私が不信仰だからか。いや、あまりにもあり得ないことなので、理解できないだけだろう。

では、このろばの持ち主はどうだったか。彼の正直な思いは分からないが、彼の答えが前者であったのは、イエスのところにろばが連れられてきたという結果から知ることができよう。

なぜ飼い主はろばを手放したのか。なぜ弟子たちに引き渡したのか。弟子たちが十分に説明して聞かせたとも思えない。そんな時間の余裕もなかっただろう。「主がお入用なのです」と、それだけだったろう。主が必要としている、飼い主はそれを聞いてろばを手放す覚悟を決めた。これがこの人にとっての信仰の表し方だったのだろう。