良い神

神がなさった良いこと。今ひとつは……いや、ひとつふたつと神のなさったことを数えていくのはきりがないのではないか。

この一年を通して神のなさった良いことについて考えてみたが、改めて振り返ってみると神のなさる良いわざは、countless(数え切れないもの)であり、limitless(制限がないもの)であり、unmeasurable(はかることのできないもの)であるということだ。一方で神が悪いことをなさったかと考えてみると、これが何ひとつとして思い浮かばないのである。

たしかに私の周りでは何も悪いことが起きていないかと言えば、そういうわけでもない。それどころか、何かと私を悩ませたり、不安に感じさせたりするようなことの方が多いのではないかと思えてしまう。果たして、それでも神は何も悪いことをしないと言えるのだろうか。悪いと思えるようなことを見てみると、神がそれを起こしているというだけの理由を見出すことができないのである。それは私が信仰者であるがゆえに、良いことはすべて神のおかげであると考え、また悪いことはそうではないと思っているのだけなのではないか、人はそう言うかもしれない。確たる根拠があるわけでもないし、具体的な証拠を見せることができないから、そのように言われてしまっては、何とも反論のしようがないのだが。

うまいたとえかどうかは分からないが、今私がこれを書いているテーブルから、ちょっと視線を左に動かすと、壁紙が剥がれ掛かっているのが目に付く。良いか悪いかで言えば、これは悪いほうの部類に入るだろう。まず、見た目が美しくないし、みすぼらしい。これは神のせいか。違うだろう。これは内装の経年劣化というべきだろう。室内の湿度が一定ではないから、時間とともに糊が弱くなって剥がれているのだろう。それで納得できれば何ら問題がない。神に責任はないということになる。しかしさらに追及してみるとどうなるか。湿度の原因となる雨が降ったり、気候に変化があるのは単なる自然現象ではなくて、神の行いによるものであると言うのであれば、神も原因になっているのではないかと、もしかしたらそう考える人たちもいるかもしれない。とは言え、雨が降ったり、季節があったりするのは悪いことだろうか。雨や季節の移り変わりは、大地を潤し作物を成長させるのだから、人にとって良いものであると考えるのが自然であろう。

そのように考えると、神のなさるわざはすべて良いものであるかもしれないが、それがもたらす結果、もしくはその過程で生じた副産物が人にとって仇をなすことがあるかもしれないが、神にその責任を問うことはできないだろう。神は人のために良かれとするために、それらのわざを行ったのだから。むしろそれを悪いこととして捉えてしまうのは、人に原因があるからではないだろうか。

さて聖書にはヨブという人物が登場するが、おそらく彼は歴史上、最も酷い目に遭った人かもしれない。「この人は潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた。」(ヨブ記1章1節)と書かれているほどの人格者であった。それに加えて「羊七千頭、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭、それに非常に多くのしもべを持っていた。それでこの人は東の人々の中で一番の富豪であった。」(同3節)もはやこれ以上何を望もうかというほどである。ところが彼の身に数々の不幸が起こり、「荒野のほうから大風が吹いて来て、家の四隅を打ち、それがお若い方々の上に倒れたので、みなさまは死なれました。」(同19節)とあるように子供たちまで失ってしまったのだ。挙句に「ヨブの足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物」(同2章7節)ができてしまったうえに、妻からは「神をのろって死になさい。」(同9節)とまで言わてしまった。富を失い、家族を失い、健康を失い、妻からは見放され、もはや失うものは何もないところまで堕ちてしまった。

彼をこのような目に遭わせたのは神だったのか。「主はサタンに仰せられた。『では、彼のすべての持ち物をおまえの手に任せよう。ただ彼の身に手を伸ばしてはならない。』そこで、サタンは主の前から出て行った。」(同1章12節)直接ヨブに手を下したのはサタンであった。神はサタンの行いを認めただけだった。果たして神に責任はあるか。もし神がヨブを見捨てることを考えていたのであれば、神に責任はあっただろう。だが実際はそうではなかった。またヨブも神を呪うことはしなかった。そしてヨブ記はこのように締めくくられている。「主はヨブの前の半生よりあとの半生をもっと祝福された。……こうしてヨブは老年を迎え、長寿を全うして死んだ。」(同42章12、17節)

この一年、どのようなものであったかは人それぞれだろう。何らかの問題を抱えたまま終えようとしているかもしれない。もしかしたら、大半の人々がそうであっても不思議ではない世の中である。しかし不安になる必要はない。なぜなら「神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。」(Ⅰコリント10章13節)