満たされぬ渇き

時は金なり、という。何度も言われてきた言葉だから、今更驚くことでもなければ、新たな発見があるわけでもない。時間はお金と同じくらいに大切だという意味も、真新しいものではない。ちなみに、この言葉は18世紀のアメリカの学者でもあり政治家でもあったベンジャミン・フランクリンが最初に言ったというのが通説である。言葉の背景には、一日の半分を怠惰に過ごすことは、半日分の稼ぎを捨て去るのと同じことであると、若い世代に勤勉を勧める思いがあったようだ。


分かりやすいと言えば、分かりやすい。確かにその通りだろう、と納得もできよう。とは言えども、この言葉の通りではないのかもしれない、と思うこともあるのではないか。もしかしたら、何もしないで過ごすことは、同じだけの時間を掛けて何かを生み出すよりも価値がある場合もあるのではないかと。それが具体的に何かと聞かれても困るが。果たして両者を天秤に掛けたら、本当に均衡を保つことができるのだろうか。もしかしたら、どちらかが重くて傾いてしまうのではないか。そうなった場合、人は時間を選ぶのか、それともお金を選ぶのだろうか。


例えば、このような問いを出してみよう。自由に使うことのできる十億円を貰えるのと、十代の若い頃に戻って人生をもう一度やり直せるのと、どちらを選ぶか。とても悩ましい、少なくとも私にはそう思われる。どちらとも選べない。


もし十億円を持っていれば、欲しいものは何でも買うことができるに違いない。ただし、それでも時間だけは買えない。なぜなら時間は誰にでも公平に同じだけ与えられているものだからだ。もちろん失った時間を買い戻すことはできない。もっともこれからの時間を有効に使う手段は手に入れることができるかもしれないが。であれば、今までの半生をやり直すだけの時間を選ぶだろうか。「あの時、ああしておけば良かった」と思ったことは誰しもあるだろう。今とは違う人生を送っているかもしれない。もしかしたら、成功してそれこそ十億以上の資産を持つようになっているかもしれない。もっともそれと同じだけの可能性で、貧困に苦しんでいるかもしれない。別の生き方ができるのだが、それが必ずしも良いものである保証はない。うーむ、実に悩ましい。どちらも良く思えるのだが、どちらも同じくらいの不安がある。結局のところ、十億相当のモノで自分を納得させるか、半生をやり直す経験で自分を満足させるか、その二択なのかもしれない。


だが冷静になって考えてみると、大方想像がつくのは、どちらにしてもいつかどこかで後悔をする時がくるということだ。時間もお金も、本当に人を満たすことができるものではないというのは、誰もがどこかしらで感じていることなのではないだろうか。仮に永遠と呼べるほどの時間があったとしても、無尽蔵のお金があったとしても、それが人を満足させることができるのだろうか。口では何とでも言うことができるだろうが、心の奥底から満足していると言うことができるのだろうか。


ある昔の人はこう言った。「私は事業を拡張し、邸宅を建て、ぶどう畑を設け、庭と園を造り、そこにあらゆる種類の果樹を植えた。木の茂った森を潤すために池も造った。私は男女の奴隷を得た。私には家で生まれた奴隷があった。私には、私より先にエルサレムにいただれよりも多くの牛や羊もあった。私はまた、銀や金、それに王たちや諸州の宝も集めた。私は男女の歌うたいをつくり、人の子らの快楽である多くのそばめを手に入れた。」(伝道者の書2章4~8節)
毎日朝から晩までわずかばかりの給料を得るために働いている多くの人たちにとっては、まさしく羨むばかりに成功した人物である。何の後悔もないような、そのような印象を受けるが、本人はこう告白している。「私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるものはない。」(同11節)


すべて虚しく、何も益にならないとは、成功して幸せの絶頂にいるような人の言葉とは思えない。まるで、まだ何も得ることができないでいる人のようである。
前述のある昔の人の父親である人は、このように言っている。「神よ。あなたは私の神。私はあなたを切に求めます。水のない、砂漠の衰え果てた地で、私のたましいは、あなたに渇き、私の身も、あなたを慕って気を失うばかりです。」(詩篇63篇1節)


人のたましいが渇望していたのは、いかなる財産や経験でもなかった。人が求めていたのは、神ご自身だった。荒れ果てて何もない砂漠で、飢え渇いた人が水を求めるように、神を求めるのだから、それは生死を掛けたほどに必死なものだったろう。すなわち、人のたましいを満たすことができるのは、ただ神のみなのである。


そして神は、その求めにこう答えて下さるのだ。「わたしが、あなたの神、主である。わたしはあなたをエジプトの地から連れ上った。あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。」(同81篇10節)