求めるべき正義

「こうして日がたち、モーセがおとなになったとき、彼は同胞のところへ出て行き、その苦役を見た。そのとき、自分の同胞であるひとりのヘブル人を、あるエジプト人が打っているのを見た。あたりを見回し、ほかにだれもいないのを見届けると、彼はそのエジプト人を打ち殺し、これを砂の中に隠した。」(出エジプト記2章11~12節)エジプト王の娘の子として育てられたモーセは、エジプト王家の者であると同時にへブル人でもあるという自らの立場を理解していた。おそらくモーセの母である王女が彼に、彼の出自について教えたのかもしれないし、彼の実母でありながら身分を隠して乳母として彼を育てた母親が、彼に真実を告げていたのかもしれない。そこまで詳しいことは、聖書には書かれていないから私の想像の域を出ないが、もしかしたらエジプトの王女とレビ人の女性の間には、言葉にこそ表すことはなかったかもしれないが、彼女たちの息子であるモーセに自らがへブル人であることを忘れないようにとの思いがあったのかもしれない。

そのようなわけで、へブル人としてのモーセは同胞である他のへブル人が集まっているところへ出掛けた。ところが、その頃へブル人はエジプト王、つまりはモーセにとっては祖父に当たる人物の命令によって、厳しい労働を課せられていたのだった。すると、そこにいたエジプト人が労働者の一人に暴力を振るっているのを目撃した。モーセはその様子を見て、へブル人としての血が騒いだのか、怒りを覚えたに違いない。へブル人を助けたいという思いと、へブル人を虐げたエジプト人に復讐をしてやろうという思いとで、彼はそのエジプト人を殺してしまった。「つい感情的になって殺してしまった」というわけでもなかったようである。誰にも見られていないことを確認してからのことなので、計画性がなかったとも言い切れない状況であるし、ましてや、後から死体を隠しているのだから、今の時代であれば、過失致死か殺人かの違いであろう。当然、後者の方が刑罰は重くなる。

しかしながら、もしモーセにその時の状況を聞いたら、同胞であるへブル人がエジプト人によって虐待されていたから復讐したまでだ、へブル人としての正義を行ったのだ、と自らの行為について弁明するかもしれない。なお後になってから事件が発覚して、彼はエジプト王から命を狙われることになるのだ。(同15節)

さて、そのようなことがあった次の日のことだが、モーセが出掛けていくと「なんと、ふたりのヘブル人が争っているではないか。そこで彼は悪いほうに『なぜ自分の仲間を打つのか。』と言った。」(同13節)モーセにしてみれば、ただでさえエジプト人から苦役を強いられ、虐げられているときに、なぜ仲間内でいがみ合わなければならないのかと残念に思ったであろうし、苦難の時こそ互いに励ましあい、支えあうべきなのではないか、そのようにも考えていたかもしれない。そのようなモーセの思いは間違ったものではなかっただろうが、この男はモーセの言葉を受け入れなかった。それどころか、このように言った。「だれがあなたを私たちのつかさやさばきつかさにしたのか。あなたはエジプト人を殺したように、私も殺そうと言うのか。」(同14節)

日々苦労を強いられているへブル人たちから見れば、モーセはエジプト王家の者でしかなかった。もしかしたら、彼の実の両親がレビの家の者であることも知っていたかもしれないが、少なくともここに出てくるへブル人にとってはどうでもよいことだったろう。この男にしてみれば、今までへブル人を助けようとすることもなく、エジプトの王族として何不自由なく暮らしていた男が、生まれがへブル人だというだけで、なぜ自分たちの指導者になろうとしているのか、なにも自分たちが頼んだわけでもないのに。そのような不信と反感を覚えたとしても不思議ではないだろう。さらにはモーセがエジプト人を殺したように、同胞であるへブル人に暴力を振るったということで、自分のことも殺して死体をどこかに隠すのではないかと、危ぶんだのかもしれない。

ところがモーセにしてみれば、エジプト人に復讐したことも、へブル人同士のいさかいを仲裁しようとしたことも、いずれも彼の思う正しいことを行ったに過ぎなかっただろう。だが周囲は彼と考えを同じにすることなく、それらの行為は彼の独善でしかなかったのだ。残念ながらその結果として、彼の命は狙われることになり、同胞のへブル人からの信頼を失い、事実上エジプトから追放されることになったのだ。

モーセがエジプトから逃げ出して千年以上後の世になってから、イエス・キリストは弟子たちにこう教えている。「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイの福音6章33節)もちろん正義を求めること、それ自体は正しいことに違いない。しかし求めるべきは、自分の思うところの正義ではなく、神の正義であろう。