増えすぎた蛙

「アロンが手をエジプトの水の上に差し伸ばすと、かえるがはい上がって、エジプトの地をおおった。」(出エジプト記8章6節)ナイルの水が血になり、七日の後にようやく元の通りに戻って一安心かと思いきや、再びアロンがナイルの上に手を伸ばした。パロが頑なにイスラエルの民を行かせることを拒んだからである。次は何が起こるのかと、その様子を見たエジプトの人々は恐れたであろうし、イスラエルの人々はモーセとアロンを通して神がどのようなわざを行われるかと、今度こそはエジプトの王が自分たちを解放してくれるのではないかと、期待をしていたかもしれない。そして何が起こったのかといえば、かえるの大群が現れたのだった。

神は何が起こるかをモーセにこう言っていた。「見よ、わたしは、[パロ]の全領土を、かえるをもって、打つ。かえるがナイルに群がり、上って来て、[パロ]の家にはいる。[パロ]の寝室に、[パロ]の寝台に、[パロ]の家臣の家に、[パロ]の民の中に、[パロ]のかまどに、[パロ]のこね鉢に、はいる。こうしてかえるは、[パロ]と[パロ]の民と[パロ]のすべての家臣の上に、はい上がる。」(同2~4節)ところでエジプトにおいて、かえるは珍しい存在ではなかった。それどころか毎年の洪水により土地が豊かに潤されるナイル流域では、かえるが大量に発生するのはいつものことだったであろう。かえると言われて今思い出した。私が夏に栃木に出張していた時のことだが、田んぼという田んぼから、かえるの鳴き声を聞くことができたし、ある時には私が滞在していたマンションの三階の窓の外側にかえるがくっついていたこともあった。条件さえ整っていれば、かえるというのは大発生するようだ。

大発生するということは、それだけ繁殖力が高いということになる。それこそ田んぼの近くでよく見かけるアカガエルは1000~2000個の卵を産むと言うし、ウシガエルに至っては、1万~2万とも言う。さてまた明日から栃木に行くことになるが、かえるの大合唱を聞きながら夜を過ごすことになるのだろうか。

もちろん当時のエジプトでも同じだっただろう。繁殖と出産を象徴するエジプト神話の女神ヘケトは、かえるの姿をして描かれているのもそれが理由だろう。妊娠をしていた女性はかえるの形をしたお守りを持っていたとも言われている。いわゆる安産のお守りのようなものだったに違いない。エジプトの民にとってかえるは忌むべきものというよりは、日常の一部であり生命を表すものでもあったろう。

ところが彼らにとって馴染みのあるかえるだったが、尋常ではないほど増えてしまったのである。これにはさすがのエジプトの人々も困ってしまったに違いない。家の中に入ってきて、台所や寝室にまで上がってしまったのだから。これでは食事をすることも眠ることもできないだろう。かと言って、女神ヘケトのことを考えれば、おいそれと叩き潰すわけにもいかなかったかもしれない。

どうすることもできなかったエジプトの王は、モーセとアロンにこう言った。「かえるを私と私の民のところから除くように、主に祈れ。そうすれば、私はこの民を行かせる。彼らは主にいけにえをささげることができる。」(同8節)モーセは王に聞き返した。「いつ祈ったらよいのか、どうぞ言いつけてください。」すべての水が血になってもどうにか数日間しのぐことができたパロであったが、どうやらかえるには耐えられなかったらしく、「明日」とモーセに答えて言った。二つの災い続けて見舞われて、パロも辟易していたのだろう。

期限を明日と言われてもモーセが焦ったような様子は見られない。彼はパロにこう伝えた。「あなたのことばどおりになりますように。私たちの神、主のような方はほかにいないことを、あなたが知るためです。かえるは、あなたとあなたの家とあなたの家臣と、あなたの民から離れて、ナイルにだけ残りましょう。」(同10~11節)

もっと苦しめてやろうと思えばそうすることもできただろうが、モーセはそうはしなかった。パロに同情をしたからだろうか、それともエジプトの民を憐れに思ったからだろうか。いや、実際はそのいずれでもなかった。もとよりエジプトの民を助けることを彼が優先したいたわけでもないようだ。「私たちの神、主のような方はほかにいないことを、あなたが知るためです。」モーセがパロの願いを聞き入れたのは、ただ神の奇跡と神の力を知らしめようとしたかっただけだ。そしてかえるを去らせれば、イスラエルの民を行かせるとパロが言ったからであろう。

モーセは神のところへ行き、パロに負わされたかえるの災いについて訴えた。そして神は彼の訴えを聞き入れ、増えすぎたかえるは死に絶えた。その時のことがこのように書かれている。「人々はそれらを山また山と積み上げたので、地は臭くなった。」(同14節)命を増やすことも減らすことも、神のみこころ一つで決まってしまうのである。そのような神に逆らうの無謀であると、はたしてパロは気付いたであろうか。