かゆみ、虫刺されに

「アロンは手を差し伸ばして、杖で地のちりを打った。すると、ぶよは人や獣についた。地のちりはみな、エジプト全土で、ぶよとなった。」(出エジプト記8章17節)蛙の次は虫である。ぶよが大量発生しただけでも、かなり困った状況だろうが、問題はそれだけでは収まらなかった。加えて「おびただしいあぶの群れが、パロの家とその家臣の家とにはいって来た。エジプトの全土にわたり、地はあぶの群れによって荒れ果てた。」(同24節)ぶよとかあぶとか、横浜に住んでいるとあまり遭遇することはない。そもそも私の記憶にある限りでは、刺されたということがない。どちらにしても、家畜や人の血を栄養としている奴らである。似たものに、これからの時期私たちを悩ます蚊という厄介な奴らもいるが、ぶよだのあぶだのは、蚊が注射針に似たものを皮膚に突き刺して血を吸うのとは違って、皮膚を喰いちぎって血を吸う。だから刺されると、とても痒くて、しかも痛いらしい。経験したことがなくて幸いである。

それにしても、なんでまたぶよとあぶなのだろうか。確かに蚊と比べたら、厄介なことに違いはないが、甚大な被害を及ぼすようなものでもないだろう。そういえば、これまでの出来事を振り返ってみると、ナイルの水が血になったことも、ナイルから蛙の大群が上がってきたことも、どれもエジプトの民を不安に陥れ、その生活を不快なものとさせることにはなったが、結果としては王や人々に精神的な影響を与えただけで、肉体的にはそれほどのダメージはなかったようだ。そして、今度は血を吸う虫たちである。一匹や二匹だったら、鬱陶しいと言って済まされてしまうだろうが、地のちりが虫になってしまったのである。文字通り、地の砂の数ほど、数えることなど無理なほどの虫がその辺を飛び回っているのだ。追い払っても後から後からやってくるのである。噛まれない者はいなかったに違いない。命に直接影響を及ぼすことがないとはいえ、それでも直接的な被害を受けることになってしまったのだ。

もっとも神もエジプトの民を根絶やしにしようとは思っていなかったのだろう。もしそうすることを考えていたら、ぶよやあぶでは済まなかったであろう。砂漠に囲まれたエジプトなのだから、地のちりの数ほどのサソリを出現させることもできたであろうし、空を飛ぶ虫を選ぶのであれば、スズメバチを出すこともできたであろう。ぶよやあぶなどよりは、比較にならぬほどの危険な虫はいくらでもいるのだ。忘れてはならぬのは、神の目的である。神はエジプトを罰したり、滅ぼしたりするために、災いをもたらしていたわけではない。神が望んでいたのは、イスラエルの民が解放され、神を礼拝できるように備えることだった。神は自らの力をエジプトの民に示そうとしただけであった。

エジプトの民と土地を襲うこれらの災いの原因は、すべては王の強情さによるものである。「パロは息つく暇のできたのを見て、強情になり、彼らの言うことを聞き入れなかった」(同15節)と書いてある通りだ。今までさんざんに酷い目に遭ってきたにもかかわらず、心を入れ替えようとしないのだから。そこまでして彼には貫き通したいものがあったのだろうか。いや、きっと何かがあったに違いない。そうでもなければ、ここまで心を頑なにすることもなかっただろう。彼がそこまでして守りたかったものは、エジプト王としての地位だったのか、自らを神格化した驕りだったのか。理由はともあれ、どうしても彼はイスラエルの神を認めたくなかったのだろう。

これまでそうしてきたように、パロはエジプトの王として、また神としての自らの力をモーセたちに見せようとした。彼は呪法師たちを呼び出して「彼らの秘術を使って同じようにしたが、できなかった。ぶよは人や獣についた。」(同18節)パロはモーセたちと同じことをやってみせようとしたができなかった。それどころか、彼に仕えていた呪法師たちさえも「これは神の指です」(同19節)と言い出す始末だった。パロは彼らの言うことに耳を貸さず、ますます心を頑なにしてしまった。

どうすることもできなくなったパロはモーセたちを呼び出し、このように言った。「私は、おまえたちを行かせよう。おまえたちは荒野でおまえたちの神、主にいけにえをささげるがよい。ただ、決して遠くへ行ってはならない。私のために祈ってくれ。」(同28節)

モーセはこう答えた。「私は主に祈ります。あす、あぶが、パロとその家臣とその民から離れます。ただ、パロは、重ねて欺かないようにしてください。民が主にいけにえをささげに行けないようにしないでください。」(同29節)念押しをしているところを見るに、モーセはパロを疑っていたに違いない。そして案の定、「パロはこのときも強情になり、民を行かせなかった。」(同32節)

パロはまだ神と争うつもりなのだろうか。神に適わないと分かったのであれば、その時点で神に降参し、神にすべてを委ねるのが正解なのだが、心を神に閉ざしている人は、神に対して盲目となってしまうのかもしれない。虫に刺されて痒いうちに神に負けを認めれば、この後に起こるであろう災いから王自身も、またエジプトの民も守ることができたであろう。神に降参するのに、遅すぎることはあっても、早すぎることはないのである。