追跡(後)

(前編はこちらからどうぞ。)

「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」(出エジプト記14章13~14節)間近に迫るエジプトの軍勢を見て、恐れおののいていたイスラエルの民に向かって、モーセはこう言った。恐れてはいけない、そうは言われても、エジプトの軍勢が戦車に乗って迫っているのである。無理なことを言うなと思ったかもしれないし、もしかしたらそんなことを考える余裕すらなかったかもしれない。眼の前は海、背後にはエジプトの軍勢、戻るに戻れず、進むに進めず、逃げ道はどこにも残されていなかったのだから。

彼らはモーセの言うことを信じるしかなかった。すなわち、神がイスラエルの民のためにエジプトの軍勢と戦われるということを。そして、今日を最後に彼らを抑圧するエジプトの民を見ることはないということを。イスラエルの民は追う者から逃げる必要もなく、また彼ら自身で立ち向かう必要もないということである。彼らがするべきことは、ただ黙って立って、神がこれからなさろうとするわざを見るだけであった。簡単なことではないか、と言いたくなるが、それは冷静に物事を見ることができる立場にあるから言えることだろう。危機が迫った状況では、それこそじっとしていることなどできないだろう。ここでモーセが民に言っていることは、簡単そうで実はそうでもなかったのかもしれない。

その後、神はモーセにこのように言った。「なぜあなたはわたしに向かって叫ぶのか。イスラエル人に前進するように言え。あなたは、あなたの杖を上げ、あなたの手を海の上に差し伸ばし、海を分けて、イスラエル人が海の真中のかわいた地を進み行くようにせよ。」(同15~16節)神はうろたえるイスラエルの民の様子をご覧になって、このように思ったかもしれない。なぜわたしに向かって叫んでいるのか。お前たちには叫んでいる余裕などないぞ、と。

神はモーセに命じた、人々に前進するように言うようにと。いや、そんなことを言われても、彼らの目の前に広がるのは海ではないか。進むことなどできないではないか。彼らはきっとまた文句を言うに違いない……果たして、モーセがそう思ったかどうかは分からない。事あるごとにモーセに突っかかってきた彼らのことだから、彼が不安に思ったとしても不思議なことではないだろう。しかし神は全てを存じておられるお方である。モーセの心配事も、イスラエルの民の弱々しい思いも、全て知った上でのことである。神はモーセにどうすべきかを伝えた。杖を掲げて、手を海の上にかざせと。そうすることで、海が乾いたところとなって、歩くことができるようになると、神は言われた。

海が分かれて、そこを歩くことができるようになるとは、我々の常識では考えられないことであるが、モーセにしてもイスラエルの民にしても、それこそ神を受け入れようとはしなかったパロでさえも、十分に考えられないことを実際のこととして、これまで幾度か体験してきた身の上だった。それこそ、神がそうなると言ったことは、必ずそうなったのだから、今回もそうなるに違いないと分かっていたであろう。

モーセは神のことばを信じ、イスラエルの民も彼に従った。その時のことが、このように書かれている。「モーセが手を海の上に差し伸ばすと、主は一晩中強い東風で海を退かせ、海を陸地とされた。それで水は分かれた。そこで、イスラエル人は海の真中のかわいた地を、進んで行った。水は彼らのために右と左で壁となった。」(同21~22節)確かに神が言われた通りのことが、今回もまた起きたのである。

しかしながら、イスラエルの民が水の引いた海の底を歩いて逃げたということは、パロとエジプトの軍勢にとってもイスラエルの民を追跡することが、容易になったということでもある。だからこそ「エジプト人は追いかけて来て、パロの馬も戦車も騎兵も、みな彼らのあとから海の中にはいって行った。」(同23節)

もちろん神はイスラエルの民を救うために、海を分かち歩くとこができるようにしたのである。「朝の見張りのころ、主は火と雲の柱のうちからエジプトの陣営を見おろし、エジプトの陣営をかき乱された。その戦車の車輪をはずして、進むのを困難にされた。」(同24~25節)まさしく主がエジプトと戦われたのである。そして再び「モーセが手を海の上に差し伸べたとき、夜明け前に、海がもとの状態に戻った。エジプト人は水が迫って来るので逃げたが、主はエジプト人を海の真中に投げ込まれた。」(同27節)エジプトの軍勢は全滅してしまった。「主はその日イスラエルをエジプトの手から救われた。イスラエルは海辺に死んでいるエジプト人を見た。イスラエルは主がエジプトに行なわれたこの大いなる御力を見たので、民は主を恐れ、主とそのしもべモーセを信じた。」(同30~31節)

非常の時に及び、イスラエルの民は神を頼った。しかしエジプトの王は自分自身の意志に従った。そしてイスラエルの民は救われた。だがパロは全てを失うことになった。