静かな時を

クリスマスと聞いた時に、私たちは何を思い浮かべるだろうか。私の頭にまず一番に浮かぶことは何であるかと問われれば「クリスマスの雰囲気」と答えるであろう。クリスマスの雰囲気と言ってしまうと、なんとも曖昧で抽象的で、かつ主観的なものであるから、説明することは難しいような気がする。もし私と同じ考えの人がいるのであれば、私が言わんとしていることを分かってくれるかもしれない。たぶん、だけど。その素晴らしい雰囲気は、良い意味で言葉にして表すことができないのではないだろうか。もっとも今年に限って言えば、今までのクリスマスとはだいぶ様子が違っているというのも、残念なことだが事実である。しかしクリスマスがなくなったというわけではない。クリスマスは今までもそうであったように、今も私たちと共にあるのだ。(いや、クリスマスが共にあるという言い方は、ちょっと違うかもしれないが、他に相応しい言葉が見つからない……)

ところでクリスマスと聞いて、私(そして私と似たような考えを持った方たち)以外の人々は何を思い浮かべるだろうか。ある人はクリスマスと聞くとプレゼントを思い浮かべるかもしれない。プレゼントを贈ったり、貰ったり。確かにプレゼントは贈るにしても、貰うにしても、どちらも嬉しいものである。家族や友と集い時を過ごすことか。ちょっと、今年は厳しいかもなぁ。他にも、クリスマスケーキ、クリスマスツリー、イルミネーション、サンタクロース等など、この時期に人々が思い浮かべることは様々にあるだろう。私の場合は、それが「雰囲気」というものなのである。

そんなことを言っていると、このように指摘されてしまうかもしれない。「クリスチャンなんだから、何よりも先に思い浮かぶべきことは、イエス・キリストのことではないのか?」そんなことは言われるまでもなく、分かっちゃいる。頭では、だけど。しかしもし私が自身の意思を自由にさせておくのならば、やはり一番に思うことはクリスマスの雰囲気なのである。なぜそうなのかは、分からない。その源が私の頭の中にあるのか、心の内にあるのか、これまでの経験にあるのか、定かではない。

そうは言っても、何もイエス・キリストのことを忘れてしまったというわけでもなければ、イエス様のことを軽く考えているわけでもない。いや、それどころか、彼がこの世に赤ん坊としてお生まれになったということがクリスマスの唯一の理由であり、真の意味であるということは十二分に理解している。私たちがどのように感じようと、また何と考えようとも、クリスマスの本来の意味とも言えるのはイエス・キリストがお生まれになったという事実なのである。このことを無視して、クリスマスを語ることはできまい。

ところでクリスマスの真実を知っているということは、私にとっては特権であることのようにも思える。なぜならクリスマスと聞いたときにまっさきに思い浮かぶことが何であれ、キリストがお生まれになったという前提に立って、そのことについて考えを巡らすことができるからだ。そうすることで、クリスマスの大切さを、さらに深く感じることができそうな。

先にも言ったが、私が一番に思いつくことと言えば「雰囲気」なのである。その「雰囲気」に包まれると、私の心は穏やかになり、静かな喜びに満たされるのだから。からだが内側から暖められるような不思議な心地の良さなのである。あたかも火の灯されたろうそくが放つような暖かさなのである。ろうそくの火で暖を取ることは無理であるが、灯されたろうそくを暗い闇の中で見るときに感じ暖かさのようなものであろう。肉体で感じる温もりというよりは、心で感じる安心や平安と言った方がより正しいかもしれない。

ろうそくの明かりは小さいかもしれないが、暗闇の中で灯され唯一の明かりとなると、周囲を照らし闇の中で見えなかったものが見えるようになるのである。また、その明かりは必ずしも冷えたからだを外側から暖めるに足りるだけの熱を放つわけではないが、その明かりを見るものを内側から暖めてくれるかのようだ。

ぼんやりそのようなことを考えると、遠い昔のクリスマスの夜に生まれたイエス・キリストは、闇に包まれた世界を照らすために来られたのではないかと思えてくる。そして冷えきって人々の心を暖めるために来られたイエス・キリストのことを。イエス様がお生まれになったという話は昔話のように聞こえてしまうかもしれないが、彼は今でも私たちの心を照らし暖めることができるのである。イエス様があの夜にこの世に来られたように、私たちひとりひとりの心に迎えればよいのである。今年は世界中で、華々しさ賑やかさの欠けた静かなクリスマスを迎えよう。キリストが灯された福音の明りに目を向ける、良い機会でもあろう。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」(ルカの福音書2章10~12節【新共同訳】)