また一年、そして一年

つい先日、年が明けたと思ったら、あれよあれよという間に、またしても新年を迎えることになってしまった。光陰矢のごとしとは言うけれども、振り返って見ると、まったくその通りである。

それはそうと、私がこれを書くようになってから13年うらいになるだろうか。元旦向けに最初に書いたのは、1999年のことであるから、12年も前のことだ。今私が38歳であることを考えると、当時の私はまだ26歳ということになる。うーむ、自分で言うのもあれだが、若い!自分にもそんな時期があったのかと思ってしまうくらいだ。若い自分がどんなであったか、詳しく思い出すことができない。それが単純に思い出すことができないだけなのか、はたまた都合が悪いから無意識のうちに記憶の引き出しに鍵を掛けてしまっているのだろうか。いずれにせよ、今ほど世の荒波に揉まれていたわけでもないので、あまり捻くれていなかったかもしれない。世間知らずだったと言えば、そうかもしれない。純真だった……とまでは言えないかもしれないが、少なくとも今ほど邪心を持っていなかっただろう。12年と言うと仮に私が96歳まで生きるとしたら(いや、周囲には迷惑を掛けることになってしまいそうで、まことに申し訳なく思えるが)私の一生の八分の一に相当する。過去のことを基準に考えてみると、小学校六年、中学校三年、高校三年の合計に相当するし、私がアメリカに滞在していたのは六年なので、それを二回繰り返すのと同じである。ついでに将来に目を向けると、今から12年経つと、長女は19歳で次女が16歳になるわけで……うひゃっ!どうにも今は想像することさえ無理だ。

そのようなことをあれこれ考えていると、12年と言うのが長い時間なのかもしれないと思えてきた。

しかし12年だろうが、50年だろうが、それこそ百年だろうが、いや、千年でさえも、すべてが一年一年の積み重ねなのである。一年というのは、これまた実に不思議なもので、始まりのころは長く思えるのだけれども、終わりに近づくと短く感じるものなのである。どれほど短く感じるかというと、あれ、もう終わりなのか、と驚かされてしまうくらいである。まだまだ日数が残されているように感じていても、気付いた頃には、あとわずかで年が明けてしまうところまで来ていることが多い。そして年の暮れにその一年を顧みて、果たして何か成し遂げたことがあるだろうかと考えるのであるが、果たして私は怠け者なので大したことは何もできなかったと知るのである。またしても非生産的で怠惰な一年を過ごしてしまったと、ちょっとばかり後悔してしまう。

そんな怠け者の私でさえ一年を短く感じるのだから、一年を有意義に過ごす人たちにしてみれば、それこそ一年などというのは一瞬のようにさえ思えるだろう。

一年というのは、過ぎてから考えると、実に短いものなのかもしれない。そう考えていくと、12年というのも、案外短いものなのかもしれない。ただの数字として考えてみると、先に書いたように長いと感じてしまうが、この12年間を生きてきた私自身の感覚で捉えてみると、もう12年も経ってしまったのかちょっと意外にさえ思えるのだ。それほど経っていないような気がすることを考えると、やはり12年なんてあっと言う間だったのだろう。そう言えば、私が19歳でキリストを受け入れて信仰を持つようになってから、19年経ったわけだが、それも長い時間のようには思えないのだ。もちろん、その19年の間に良くも悪くも多くのことを経験してきたし、今の私の人生のちょうど半分にも相当することから考えてみると、長い年月とも言えるのかもしない。しかし感覚ではそんな長いものとも思えないのだ。

何より永遠に生きる神の目から見たら、人間がこの地上で過ごす一年などは、無きに等しいものなのかもしれない。考えてみれば、人の一生というのも、一瞬明るく瞬いたかと思えば次の瞬間には消えていく流れ星のように儚いものなのかもしれない。有意義に過そうとも、不毛に過そうとも、一年が短いことに違いはないだろう。であればこそ、この一年、信仰に基づいて何かひとつでもよいから実になることをしてみたいものである。