信仰を告げる

先日新聞を読んでいたら「聖書」という二文字が目に留まった。「おや?」と思ってよく見ると、書籍の宣伝であった。本の題名は「聖書に隠された成功法則」というものだ。どうもこの手の本を見てしまうと、懐疑的な思いを抱いてしまうのであるが、読んだことがないのに、その良し悪しを決め付けてしまうというのも、いかがなものかと思う。それでは心が狭すぎるというものだ。聖書を題材にビジネス書を書くというのは、正直なところ私には分からないところである。しかし私に理解できないからといって、それを否定してしまうというのは、どうもイエスの時代の律法学者のようになってしまいそうである。自分の考えるところの「かくあるべき」という枠に収まらないからといって、知りもしないのに否定してしまうのは、信仰者の陥りやすい過ちなのかもしれない。信仰以外においても「かくあるべき」を多く持っている私のような心の狭い人間は、なおのこと気をつけるべきなのかもしれない。

それにしても、最近意外なところで「聖書」という二文字を目にする。つい先月のことであるが、電車に乗っていると「聖書とは?教会とは?キリスト教とは何か。」という特集記事を組んだ「Pen」という雑誌の吊り広告を見掛けた。雑誌なら安いので、ちょっと試しにと買ってみたのだが…なかなかどうして、これが私のような凡人の読むような雑誌ではなかったからびっくりである。

まず表紙を開くと、アルマーニの宣伝である。さらにめくると、プラダの宣伝。もっとめくると、ディオールといった具合である。女物じゃない、男物である。おまけにランボルギーニ正規ディーラーの広告まで載っている。中古車にしても、私の家の方がまだ安いだろう!おまけに裏通りのオススメレストランとかの紹介では、なぜかニューヨークとかパリとかロンドンとかの店である。どうやらとんでもない雑誌に手を出してしまったようだ。着るのは古着、乗るのは中古車、外食するならコンビニ弁当、そんな私が読む雑誌と言ったら週刊新潮とか正論くらいなものである。どうやら未知の世界に足を踏み入れてしまったようだ。いわゆる「セレブ」の世界である。

そんな「セレブ」な雑誌に、キリスト教の特集が、しかも「完全保存版」と銘打ってまで組まれているのだから、これまたびっくりである。雑誌の性格から考えると、もちろん伝道という目的で書かれたものではなく、西洋芸術を理解するための基礎知識としてのキリスト教の紹介として書かれたものであった。そりゃそうだろう、こんな雑誌を読む人は、思い立ったらルーブル美術館とかに行けたりするんだろうから。ところが実際に読んでみると、良い意味で私の期待を裏切るものであった。それというのも、至極まともなことを書いてあるからだ。たしかに信仰者から見れば、それは間違っているだろうと思うところもあることにはあるのだが、それはあくまでも聖書の解釈に関するところであって、基本的なところは正しく説明されているのだ。クリスチャンが少ないがゆえに、何かと勘違いや誤解をされやすいキリスト教であるが、ここまで間違いなく書かれているのを見ると、驚くとともに嬉しくもなってしまう。

まだまだ少数派であることを思うと、肩身が狭いようなクリスチャンであるが、もっと堂々としてよいのではないだろうか。クリスチャンとはどのような存在であるか、思い違いをされているところが多かれ少なかれあるかもしれないが、少なくとも迫害の対象になっているわけでもなければ、むしろ世間一般はキリスト教や聖書というものに対して興味を持っているかのようである。これは感謝に値することではないか。

お世辞にも私は模範的なクリスチャンではないが、それでも私は自分の信仰を隠すことはしない。むしろ隠した方が良いのではないかとさえ、思うこともあるのだが…しかしそうは言っても、自分の信仰を明白にしておくことは必要だろう。自分がキリスト者であることを人々に告げなければ、人々が聖書やキリスト教について疑問に思うことがあっても誰に聞いたらよいのか分からないまま過ごしてしまうだろう。答えを提供できるのが最善なのだろうが、たとえそうでなくとも、窓口として存在することも重要だろう。