風が吹くとき

桜の花開き、桜の花散る、春めいた日が数日続いたかと思ったら、真冬に逆戻りをしてしまったかと感じさせるような寒さが、何の前触れもなく突然に戻ってきた。寒いだけならまだしも、冷たい雨まで降りだす始末。そればかりか風も強く吹き荒れることもあった。何とも妙な天気である。十数年ぶりという、この時期にしては珍しい寒さだとか。これだけ寒いとまだ冬が明けていないのではないかと錯覚してしまい、桜が咲くのを期待してしまいそうになるが、勘違いするなかれ、桜はとうに咲ききってしまったのだ。雨が上がって、近所の桜並木を見に行っても、緑の葉が茂る桜の木を見ることになるのである。ところで私がそう感じるだけなのかもしれないが、今年は風の強い日が多いような気がしてならない。それも春一番を思い出させるような暖かな風ではなく、身を刺すような冷たい風なのである。

夜仕事を終えて職場から出ると(これは隣に立っているマンションが原因になっているのかもしれないが……)風がびゅーびゅー吹いていることもしばしばである。時にはまっすぐ歩くこともできないくらい風が強いこともある。雨の日には傘がおちょこになってしまいそうなくらいであるし、実際私の目の前で信号待ちをしていた人の傘がぶっ壊れる瞬間を見届けたこともある。さすがにあまり風が強い時には、傘が壊れてしまうのも困りものなので、やむなく傘を閉じることもある。都会のオフィス街に通勤しているのであれば、何かと雨風をしのぐ場所もあるだろうが、私の通勤先は倉庫とマンションと住宅くらいしかないので、雨風から身を避ける場所なんてどこにもない。頑張って駅に辿りつくしかないのであるから、一苦労である。

しかし風が強いのは職場の近くだけではない。何と言っても、私の家も風が強い。こちらは周囲に風除けになりそうなものが何もない、丘の天辺に建っているマンションだからというのが一番の理由だろうか。夜から朝にかけては夜通し風が吹くこともあり、そのうち窓が割れちゃうんじゃないかと心配になることも度々だ。我が家のような中古のおんぼろマンションでは、隙間風でブラインドが揺れたり、窓がガタガタ音を立てるといった具合だ。過去には物干し竿が風で飛んで行ってしまったこともある。まさかあんな細長い物が飛ぶとは想定外だったのだが、まぁ重さがさほどないことを考えると、あり得ないことでもないか……。その時の教訓で、以後、物干し竿は紐でしっかりと金具に固定するようにしている。

さてこの風であるが、当然ながら目で見ることはできない。しかし目で見ることはできなくても、感じることはできるので、必ずやそこに存在しているに違いない。改めて考えてみると、何とも不思議な存在である。風は果たしてどこからやってくるのだろうか。私の場合、風の起源と言われて、まず先に頭に思いつくのは、擬人化された雲が口を尖らせて風を吹いている場面である。もちろん、そんなわけはないのであるが。本当のところは、風というものは、気温差による空気の流れしかないのである。しかしそう言ってしまうと、あまりにも正し過ぎて、ちょっと興ざめしてしまう。

風の起源がいずこであれ、風を見ることができないことに変わりはない。しかし目に見えないからといって、そこに存在しないわけでもない。何よりの証拠に、風が吹けば、誰だって感じることができるだろう。風が吹けば、桜の花が散ってしまう。風が吹けば、傘が壊れる……それこそ風を感じる方法は数え切れぬほどあるに違いない。感じることができるというのは、そこに存在しているからだ。

神の存在も風に例えられるかもしれない。神を見た人はいないだろうが、私たちの理解を超えた何らかの存在を感じたことのある人はいるだろう。何らかの信心があれば、それを神と呼ぶかもしれないし、さもなければ「何か」と呼ぶだろう。それがどこから来た何者であるかを知る人は限られているだろうが、誰でもそれを感じることができるのだ。その人に信仰心があろうとなかろうと関係ない。神が存在するから、人は自身の理解を超えた存在を感じるのではなかろうか。