時代と共に

いつまでも若いと自分では思っていても、世間一般の目から見れば、もはや中年と呼ばれてもおかしくない年齢になったのかもしれない。とうとう平成生まれの新成人が誕生した様子を見ると、なんとなくそんなことを考えてしまったのだ。

ところで我が家の子供たちは、カメラで写真を撮ったらすぐに見ることができるものだと信じて疑わない。さも当然のように、写真を撮ると「見せて」と言ってくることがある。銀塩カメラを知らない娘たちにとっては、撮ったらすぐに見られるというのは普通のことなのだろう。

そんな子供たちの様子を見ると、私が小さい頃には当然のように接していたものが、我が娘たちにとっては未知のものであることに気付き、複雑な思いになるのだ。音楽を聴くにしても、CDが当然になっているし、ビデオはいわゆる「ビデオ」ではなくDVDである。携帯電話にしてもそうだ。私が子供の頃は夢物語であったが、子供たちはそれが普通にある世界に生まれてきている。

などと考えていたら、子供の頃のあることが思い出した。私がまだ小学生の頃だったろうか、親父が仕事で使うための映写機と商品宣伝用のフィルムを会社から持ち帰ることがあり、まれにそれを見せてくれることがあった。今思えば子供が見ても面白い物ではなかっただろうが、映写機という普段家にないものがあるということが妙に嬉しく、テレビでもないのに映像が見られるということが何やら特別に思えたものだ。

それを思うと時代は変わったものである。

映写機はもはや映画館でしか利用されていないだろうし、良くて骨董屋、悪ければ古道具屋でしか見かけないだろう。フィルムカメラは使い捨てカメラで使われるか、もしくは専門家が使うくらいだろう。レコードで音楽を聴く人はかなり少数派であろうし(むしろそっちの方が贅沢と思われるくらいだろう)、音声なり音楽なりをカセットテープに録音する人もわずかだろう。一世を風靡したMDにしてももはや過去のものとなり、CDはまだまだ現役で頑張っているかもしれないが、わざわざCDを買わなくとも音楽を購入することの出来る世の中になってしまった(一度試してみたが、買ったという実感がないので正直後味が悪かった)、つい最近とも思えるDVDにしても、次世代の規格のものが徐々に市場に出回りつつある。テレビにしても現行のアナログ放送は再来年には姿を消してしまうのだ。

私にとっては普通と思っていたものが、徐々に過去のものになりつつある世の中だ。なにやら特別なことのように思えるが、物事は日々変わっていくものなのである。程度の差こそあれ、いつの時代でも繰り返されてきたことなのだ。新しい物がでてくると、古いものは消えていく。その後に生まれてくる世代にとっては、過去のものでしかないのだ。そう考えると物寂しい気もするが、当然のことであろう。

しかしどれほど時代を経ても変わることのないものもある。もしかしたら、変わらないものの方が多いかもしれない。音楽がよい例だろう。人々が認め親しみを感じる音楽はいつの時代になっても廃れることがない。レコードがCDに代わり、CDが目に見えない電子データになったとしても、そこに記録されている音楽に違いはないのである。

そして神のことばがある。いつになっても変わることもなければ、廃れることもない最たるものだろう。文字というものが存在する以前から、神のことばは存在した。それは口伝えで人から人、世代から世代へと伝えられた。やがてそれは人の手で紙から紙へと書き写され、15世紀にはグーテンベルクにより初めて印刷された。そして印刷技術の発展は、神のことばが人々にとって身近なものとなるのに少なからぬ貢献をしたことだろう。そして今は紙に印刷されたものだけでなく、インターネットでも自由に読むことができるようにもなった。今後どのような技術がでてくるか、十年後のことはおろか、百年、千年先のことは想像すらできない。しかし、それでも方法を変えながらも、かたちを変えながらも、神のことばはこれからも伝え続けられるのだろう。人々がそれを求め続ける限りは。